45歳、進行性の難病「ALS」と診断された2児の母。「体が少しずつ、自分のものじゃなくなっていく」恐怖を語る | NewsCafe

45歳、進行性の難病「ALS」と診断された2児の母。「体が少しずつ、自分のものじゃなくなっていく」恐怖を語る

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45歳、進行性の難病「ALS」と診断された2児の母。「体が少しずつ、自分のものじゃなくなっていく」恐怖を語る

4才と13才の子どもを育てながら、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と向き合って生きるはらだまさこさん。

ALSは、治療法が確立されていない進行性の病気。診断され、葛藤や恐怖に苦しみながらも、生きる希望を見出し、「子どもたちに“母の味”を残したい」と、不自由な手でレシピを書き始めました。

本記事では、病と生きることのリアルを綴ったはらださんの著書から、「病気と診断された日」の様子をお届けします。

※本記事は書籍『難病ALSのママが綴るいのちのレシピ もしもキッチンに立てたなら』(はらだまさこ:著/徳間書店)から一部抜粋・編集したものです

病名を告げられた日

2023年6月、大学病院の小さな診察室で、わたしは担当の先生から病名を告げられました。

「いろいろ検査してみましたが……やはりALS、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)でした」

身体の様子がおかしくなって以来、自分でも調べていたので覚悟はしていましたが、その言葉を聞いた瞬間涙がとまらなくなりました。

正直、それ以降のことは鮮明には覚えていません。右側に座っていた夫が、言葉が出ないわたしの代わりに静かに「わかりました」と言ってくれていました。

重たい空気の中、先生は今後予測される病気の進行についてゆっくりと説明をしてくださいました。娘と同い年のお子さんがいるというその先生が、とても気を使ってくださっているということは、なんとなく肌で感じていました。

わたしはただうつむいたまま、現実を受け止めるしかありませんでした。

「おかしいな」と思い始めたのは、リンを出産した2021年の半ば。寝ているときに左足がよくつるようになったのです。その後、足が思うように上がらなくなり、つまずくことが増えました。

その時点では「出産による骨盤のゆがみかな」と勝手に思い込み、整骨院に通い始めました。しかし、骨に異常はないことがわかりました。その後、紹介状をもらって近くの医療センターへ。MRIや血液検査といった詳しい検査をしても、異常がない。嫌な予感がしました。

そして「大学病院で診もらってください」と言われたのです。

大学病院では、背中に注射して骨髄液(こつずいえき)を採ったりと、これまで受けたことのないような検査もしていただきましたが、それでも病名は特定されませんでした。

それもそのはず。ALSは、消去法で診断される病気なのです。調べるほどにALSであるという可能性が高まっていく恐怖で、病院から足が遠のいた時期もありました。電気を流して筋肉の動きを調べる検査を受けて、ようやく「筋肉が萎縮している」ことがわかりました。また怖くなって、病院に行けなくなったのです。

最終的に10日間の検査入院を勧められましたが、まだ小さかったリンとそんなに長期間は離れられないと断り、わがままを言って4日間に短縮してもらいました。その結果、「ALSである」と診断を受けたのです。

よくよく思い返してみると、最初に足がつり始めたのはリンの妊娠前でした。ということは、診断までにALS発症からすでに3年以上経たっていたことになります。

治療法がまだ確立されておらず、病気に抵抗するには、進行を遅らせる薬を飲むしかないことも事前に知っていました。

診断を受けてからしばらくは、毎日いつ起きていつ寝ていたのか、何を食べていたのか、家族にどんなごはんを作っていたのかさえあまり覚えていません。

ただひたすら、
「どう生きたらいいのか」
「どう前に進めばいいのか」
「治すには何をすればいいのか」
そのことばかりを、頭の中で何度も何度も繰り返し考えていました。

▶「病気に心まで持っていかれそう」眠れない日々に思うこととは…

ALSってしんどいよ

正直に言います。ALSって、本当にしんどいです。

ときどき足がつる程度のときは、まだ我慢できていました。それがいつの間にか、「毎晩」「同じ場所が」「必ずつる」という状態に変わっていったのです。

次第に歩きづらさが増し、やがて歩行困難となり、診断が下りる頃には、車椅子が主な移動手段になっていました。

ぐっすり眠ることもできません。体がこわばってしまい寝る体勢が安定せず、途中で何度も目が覚めてしまうのです。睡眠時間は続けて眠れて1時間、トータルで4時間いくかどうか。これを、毎日です。

まだ自分で動かせる部分が少しあるからこそ、「動かしたい」という気持ちが勝って、どうにかしたくなってしまう。そのせいで眠れなくなるのです。

「すべてを諦めてしまったら、もっと眠れるのかもしれない」

そんな風に思うときもありますが、諦めてしまったら、この病気に心まで持っていかれてしまいそうで。それだけは、なんとしても許したくないのです。

これはわたしの実感ですが、ALSは「体が少しずつ、自分のものじゃなくなっていく病気」です。今日は動かせていても、明日は動かせなくなるかもしれない。自分の意思で体を操ることができなくなるかも。寝る前、毎晩こう考えています。

とても怖いし、悔しいし、しんどい。

家族にも迷惑をかけています。わたしに合わせて夜も起こしてしまうので、体も心も限界、と思える瞬間も少なくないと思います。「このまま生きていていいのかな」と思ってしまうことも、もちろんあります。

元気なときのわたしじゃ浮かびもしないような考えが頭をよぎるのです。それでも、こうやって自分の心を言葉にして書いていくと、「まだ、大丈夫。わたしはわたしだ」と確かめられている気がします。

名前のない恐怖

ALSだと診断を受ける数か月前、先生の手元にある自分のカルテがちらりと見えてしまったことがあります。そこには「神経の異常」と書かれていました。全身から血の気が引くようでした。体調不良の原因をいろいろと調べていて、「ALSが神経の病気である」という知識があったからです。

それ以来、不安を抑えきれずに、来る日も来る日もインターネットで自分の症状に合う神経の病気を検索しました。

「ALSしかない」という諦めと、「どうか違っていてほしい」という願いがせめぎ合い、心が限界に近づいているのを感じていました。思い返せば、確定診断がつくまでが、いちばんつらい時期だったかもしれません。

自分が何の病気なのかわからないまま、足だけがどんどん動かなくなっていく。どうしたらいいのかわからず、朝から晩まで不安で胸がいっぱいでした。

怖くて眠れず、やっと眠れたと思っても夜中にふっと目が覚めるのです。暗い天井を見つめていたら、ワッと涙があふれてくる。泣いても、状況は変わらない。その頃の記憶はなんだか曖昧(あいまい)で、ただ苦しかったことだけを覚えています。

こんなに食べるのが大好きなわたしの、あの頃食べたごはんの記憶がありません。頭からすとんと抜け落ちてしまったようなのです。

ここまでの記事では、「ALS」と診断される前後の状況と心情についてご紹介しました。続く関連記事では、はらださんが感じた「母としての葛藤」と「病を受け入れるまで」をお届けします。

関連記事>>「こんなママでもいいの?」進行性の難病を抱えながら、2人の子どもを育てる女性がたどり着いた結論とは

著者略歴: はらだまさこ(ハラダマサコ)
1981年、喫茶店文化の街・愛知県豊橋市に生まれる。カフェオーナーの賢介さんと結婚後、出産を機に、家族で日本と海外を行き来する「暮らすように旅する」生活を送る。各地で出会った料理と食文化に影響を受け、2018年、福岡にオーガニック喫茶店「Sounds Food Sounds Good」をオープン。2021年、長女を出産後、足に違和感を覚え、2023年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受ける。失意のなか、自然治癒の症例があることを知り、わずかな希望に光を見いだして生きることを決意。子どもたちに自分の味と記憶を残したいと、不自由な手でレシピを書き始める。2025年7月より、〈天然生活ウェブ〉にて連載を開始。


《OTONA SALONE》

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