「こんなママでもいいの?」進行性の難病を抱えながら、2人の子どもを育てる女性がたどり着いた結論とは | NewsCafe

「こんなママでもいいの?」進行性の難病を抱えながら、2人の子どもを育てる女性がたどり着いた結論とは

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「こんなママでもいいの?」進行性の難病を抱えながら、2人の子どもを育てる女性がたどり着いた結論とは

「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」という病気を知っていますか?徐々に手足が動かなくなり、最後には呼吸も困難になる進行性の難病です。

4歳と13歳の子どもを育てながら、ALSとともに生きるはらだまさこさんは、葛藤や苦しみを抱えながらも、「力尽きるまで、楽しいこと好きなこと、好きなもの、好きな人たちに囲まれてすごしたい」と語ります。

本記事では、はらださんのエッセイ&レシピ集から、「母としての悩み」や、治療法が確立されていない中でも希望を捨てず、前向きに生きるきっかけとなったエピソードをお届けします。

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※本記事は書籍『難病ALSのママが綴るいのちのレシピ もしもキッチンに立てたなら』(はらだまさこ:著/徳間書店)から一部抜粋・編集したものです

病を受け入れるまで

元来アクティブなわたしですが、ALSになって以降、全く外に出ることができなくなりました。元気だった頃を知っている人に会うと、車椅子のわたしを見て「どうしたの?」と聞かれます。心配してくれているのだとわかっていても、その一言さえ、胸に刺さりました。

泣いてしまって心配をかけるのも嫌だし、変わってしまった姿を見られることも恥ずかしい。自然と外に出る回数は減っていきました。

「きっとまた歩けるようになるかもしれない」と思いたかった。でも、どんな医学書を読んでも「ALSの有効な治療法はまだ見つかっていない」とあるばかり。

そんな中、インターネットで検索を続けているうちに「ALSリバーサル」という言葉に出会いました。ALSの進行が止まったり、症状が軽くなったりすることを「ALSリバーサル」というそうです。そうした回復例が、世界にほんの少しだけある、ということでした。

アメリカには自然療法や機能性医学を取り入れてALSリバーサルを目指す団体があり、英語のサイトや論文、症例報告がいくつも出てきました。

すべて英語だったので、翻訳アプリとにらめっこしながら、夢中で読み進めました。

もちろん、ほんのわずかな症例です。同じことをすれば必ず治る、というわけではないとわかっています。発症の理由も、体質も、環境も、人それぞれ。

それでも、「世界のどこかに回復した人がいる」という事実が、わたしの心に小さな明かりを灯してくれました。

──わたしもALSリバーサルにかけて、生きてみよう。

そう思いました。

落ち込む日も、もちろんあります。病気を「完全に受け入れました」と胸を張って言えるわけでもありません。

でも、病気を受け入れることと、ただ諦めることは、きっと違う。それに、もう泣くことに飽きたんです。時間がもったいない。下を向いて歩くより、前を向いて歩いたほうが結果もいいに決まってる。

「どんな小さな希望でも、わたしは信じるほうを選ぶ。わたしの病気は治る」そう口にするだけで、体の奥からエネルギーが湧いてくる気がしました。

「完治は難しいとわかってはいるけれど、わたしは希望を捨てない」

本を作る

2024年10月のよく晴れた日、わたしは息子の小学校生活最後の運動会を観に行きました。

ALSと診断されてから1年と4か月。すでに歩くことは難しくなり、車椅子での生活が当たり前になっていました。身の回りのことも、誰かの手を借りなければできない状態でした。

わたしにとって運動会といえば、何よりの楽しみは母が作ってくれたお弁当でした。

エビフライに唐揚げ、卵焼き、タコさんウインナー。おいなりさんとかんぴょう巻き。おかかや梅のおにぎり。デザートには、うさぎさんりんごとみかん。そんなお重いっぱいのごちそうを作るために、母はまだ空が暗い時間から台所に立っていました。

揚げ物の音と香りが寝室まで届き、ふだんはなかなか起きられないわたしも、その日だけは自然と目が覚めたのをよく覚えています。

その思い出が忘れられなくて、息子が幼稚園に通う頃、同じ〝わくわく〟を感じてもらいたい一心で、お重を買いました。しかし、コロナ以降、運動会でお弁当を広げる習慣はなくなり、お重の出番も次第に減っていきました。

寂しさを感じる一方、いまの身体ではお弁当を作るのが難しくなっていたので、作らずに済むことにほっとしている自分もいて──そんな相反する気持ちに、なんとも言えない複雑さがありました。

頑張る息子の成長に胸が熱くなる反面、申し訳なさも込み上げてきます。悲しさや虚しさが静かに胸に広がっていました。してあげたいことは山ほどあるのに、思うように叶えられない。

グラウンドを見渡すと、車椅子の母親はおそらくわたしだけ。本当は、周りと比べることは好きじゃない。でも、たくさんの親子が並ぶ運動会という場では、どうしても比べてしまう自分がいて──

「母親として、わたしは何ができるんだろう」
「子どもたちに、何を残せるんだろう」

悩み続けた先に、わたしはひとつの答えにたどり着きました。

それは、レシピ本を残すこと。

すでに前年からレシピのメモは始めており、数十のメニューがスマホに眠っていました。これを、一冊のレシピ本にできたら。わたしの味、「美味しい」という記憶を形にできたら。そう思った途端に、心の底から情熱が湧いてきたのです。

▶「こんなママでもいいの?」母としての悩みと決意

こんなママでもいいの?

母としての悩みは、病気がわかったときから、ずっと心の大部分を占めています。

子どもたちにごはんを作れないこと。手をつないで歩くという、当たり前だったこともできないこと。小さなリンにいろいろとお願いをしてしまっていることや、タカラの運動服すら洗濯してあげられなくなったこと。

前を向いているつもりでも、まったく苦しくないと言えば嘘になります。いまも「こんな母でいいのだろうか」という問いが、何度も浮かぶのです。

病気がわかってまもなく、4歳下の妹のみっちゃんがわたしを支えるために、近所へ引っ越してきてくれました。

ちょうど妹の息子の陽向(ひなた)が中学校に上がるタイミングだったこともあり、愛知で長年続けてきた美容師の仕事を辞め、「福岡へ行く」と決断してくれたのです。そうまでして助けに来てくれたことに対して、感謝という言葉ではとても足りません。そんな妹はいつもこう言ってくれます。

「わたしは、お姉ちゃんの近くに来れてよかったよ」

いまでは、不自由が増えたわたしの代わりに、子どもたちの面倒まで見てくれています。とてもありがたいですが、その姿を見ていると、若くて元気な妹の時間をわたしの世話に使わせてしまっている、という申し訳なさで胸がいっぱいになることがあります。

母としても、姉としても、ずっと「してあげる側」でいたかったのだと思います。ところがいまは、「してもらう側」になっていっているという現実があります。それを実感するたびに、情けなさや悔しさが静かにこみ上げるのです。

それでも、最近はこんなふうに考えるようになりました。

──子どもたちは、いまのわたしの姿を見て育っていくのだ、と。

一緒に走ってあげることはもうできないし、台所に立ってごはんを作ることもできません。でもその代わりに、温かで優しい人たちに助けてもらいながら目標を叶えていく背中や、病気と闘いながらもできる限り笑顔でいようとする姿を、子どもたちに見せていきたい。見せていける気がしています。

「こんなママでいいのだろうか」と悩む日がなくなることは無いと思います。でも、どんな姿になっても、わたしが子どもたちを深く愛し、心から大切に思い続けていること──その気持ちは変わりません。

この思いをいちばんに抱けていることが、いまのわたしにとっては大きな幸せです。

「家族においしいごはんを作ってあげたい、それがわたしの生きる力」

頼っていいんだ

わたしは4姉弟の長女です。小さい頃からしっかり者と言われ続け、妹たちはもちろん、友達までお世話するのが当たり前でした。誰かに頼るより、誰かを支える方が性(しょう)に合っていたのです。そんなわたしがお世話をしてもらう側になってしまい、打ちひしがれていました。

そんなとき、わたしの価値観をガラッと変えてくれたのは、同じように車椅子で生活している先輩との出会いでした。

知人に紹介してもらって会いに行ったとき、その方はこうおっしゃったのです。

「みんなね、本当に優しいよ。知っている人も知らない人も、『助けてください』って言ったら、ちゃんと助けてくれるよ。困ったら、まず頼ってみたらいい」

その言葉を聞いたとき、はじめて「頼ることは迷惑じゃないんだ」と思えるようになりました。

それから少しずつ、「こうしたい」という思いを外に伝えるようにしたのです。特定の誰かだけに負担をかけるのではなく、「いまこんな状況です」「こんなサポートが必要です」とオープンに伝えるようにしました。

すると、「手伝わせてよ」「何かできることある?」と声をかけてくれる友人が、思ってもみないほどにたくさんいました。長く連絡を取っていなかった友人からも、「頼ってくれて嬉しい」とメッセージが届きました。

そうか、わたしだって、誰かに頼られたら張り切って助けにいくもんね──

そう気づいてから、「してもらうこと」を、前より素直に受け取れるようになりました。

いま、わたしの喫茶店は閉めているのですが、時々友人たちが集まってくれる憩いの場所になりました。わたしのレシピを再現して料理を作ってくれたり、たわいもないおしゃべりをしながら、美味しいものを味わったり。

「まさこさんと一緒だと楽しいね」と言ってくれる、かけがえのない友人たちです。みんなと過ごしていると、「なんてありがたいんだろう」「なんて幸せなんだろう」と、胸の奥から込み上げてくるものがあります。

病気になって、できなくなったことはたくさんあります。でも同時に、「頼っていいんだ」とわかったことで、大切な人とのつながりはむしろ増えたのかもしれません。

夫は「ぼくはまさこさんが病気を治すと思ってる」と言ってくれています。妹は「福岡はいいところよね」と前向きです。友人たちは「いつでも頼ってよ」と声をかけてくれます。

その全てに支えられて、わたしはALSというやっかいな相手と付き合っていけています。

「どう生きたらいい?」という悩みは、少しずつ「わたしはこう生きたい」に変わってきました。「何もできない」より「次はなにしよう」のほうがワクワクする。わたしは、不自由さも全部ひっくるめて、みんなと笑い合えるいまに感謝して生きていくのです。

著者略歴: はらだまさこ(ハラダマサコ)
1981年、喫茶店文化の街・愛知県豊橋市に生まれる。カフェオーナーの賢介さんと結婚後、出産を機に、家族で日本と海外を行き来する「暮らすように旅する」生活を送る。各地で出会った料理と食文化に影響を受け、2018年、福岡にオーガニック喫茶店「Sounds Food Sounds Good」をオープン。2021年、長女を出産後、足に違和感を覚え、2023年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受ける。失意のなか、自然治癒の症例があることを知り、わずかな希望に光を見いだして生きることを決意。子どもたちに自分の味と記憶を残したいと、不自由な手でレシピを書き始める。2025年7月より、〈天然生活ウェブ〉にて連載を開始。


《OTONA SALONE》

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