11月28日全国ロードショーの『兄を持ち運べるサイズに』は、2020年に刊行された翻訳家・エッセイスト、村井理子さんの『兄の終い』が原作です。村井さんがご自身のお兄さま(享年54歳)を見送った「ただならぬ5日間」のノンフィクション。
村井さんに、執筆時の、そして映画封切りを控えた現在の気持ちを伺いました。

©2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会
前編記事『「勝手に死にやがってという怒りで書きましたが、いまは哀れみしかありません」映画『兄を持ち運べるサイズに』原作者・村井理子さんに聞く「兄を終った日」』に続く後編です。
元妻・加奈子ちゃんがいてくれたからこそ「無事にしまえた」ことは間違いない
――前編記事の、「結局私に最後やらせたんだ」につながる気持ちですね。今回ずっとコンビで対処に当たった兄の元妻、加奈子さんとはずっと仲がよかったのでしょうか?
彼女が20歳の頃から知っているので、たまに会えば普通に会話する関係でした。とはいえ、すでに兄とは離婚していますし、さほど親密なおつきあいはなかったのですが、あの危機的な状況で突然強く結びつきました。
彼女がいなかったら、私一人だったら何も終わらなかったと感謝しています。加奈子ちゃんはものすごくバイタリティのある女性で、私が呆然と突っ立っていたら、大きな声で「りこちゃーん、突っ立ってないでやってよー。私怒ってるからね。私、仕事しない奴大嫌いだから!」とはっぱをかけてくれるような人で。
お互い頼れるのはお互いだけなので、私がお金を出す、加奈子ちゃんが交渉するという役割分担がいつしかできあがりました。たとえばコンビニの前で「おっちゃん、この辺りでごみを捨てるの一番安いところはどこ?」と聞いたりと、いろんな交渉事を加奈子ちゃんがやってくれて、私があとからついていってお金を払うという感じです。本当に大変でした。
――怒涛の5日を終え、エピローグは一転、これまでの主観文ではなく客観の会話文で「多賀城市役所生活支援課保護担当者の話」「良一君の里親夫妻の話」です。
すべてが終わったあと、兄が死に至る前の状況を知りたいと思って市役所に電話をかけたら、「あの時の方ですか」と覚えてくださっていて。詳しくいろいろ教えてくれました。兄の息子である良一君と里親さんとの話は、ホテルに帰ってから詳しく記録していました。これら2つをエピローグとしました。
どうしても残したかったのが、良一君と里親のお父さんの会話の「お父さんと行きたかった観覧車に乗りたい」というくだりです。里親の父さんがすごくにこやかに話してくれたので「良一君はパパが嫌いじゃなかったんだな」と感じて。里親さんと良一君の「最後の日に川の字で寝よう」「いいよ」というやりとりも素敵だったので、敢えて自分の文章ではなく会話文で残しました。
――エピローグではものすごく急に静かなトーンになります。怒りが薄れている?
怒りを持って書き始めた作品でしたが、このエピローグを書いている時点ではすでに悲しい気持ちになっていましたし、出版後はさらに悲しくなりました。兄、かわいそうだなって。怒りながら書いていって、だんだん悲しくなっていき、そして書き終えた時点ではとっくに許しちゃっているんですよ。
書いていくうちに怒りだけではない、自分の内面に沈殿していたいろいろな感情が見えてきました。残留物の中から兄の履歴書を発見して、さまざまな職に就きながら兄も兄なりに苦労していたさまを知ったのはとても大きかったです。あれが気持ちの切り替わる転換点でした。今でも兄の履歴書は大切に持っています。
――そして、結びではお兄さまに対する怒りと愛情が半ばする言葉が書かれます。
あとがきには「この世でたった一人であっても、兄を、その人生を、全面的に許し、肯定する人がいたのなら、兄の生涯は幸せなものだったと考えていいのではないか」と書きました。
兄の妹は世界に一人しかいないから、私がいいと言えばいいかと思いました。良一君が読んだら「なんてことを言うおばさんなんだろう」と思わないかとちょっと心配ではありますが。
兄はいろんな人を巻き込んで、いろんな人を不幸にして、一人だけさっと死にました。兄のことを全面的に許す人はいないだろうと思います。加奈子ちゃんや子どもたちがどんな気持ちを抱えているかわかりませんが、100%受け入れられるのはきっと肉親である私しかいないなと思いました。あの部分を書いた瞬間で、もういいかなと思って、私は兄を許せました。
映画は「中野ワールド」。柴咲コウさんの名演にママ友らの「ですよね」コメントとは
――映画化は、どの段階から話があったのでしょうか。
2020年の出版後、かなり早い段階で映画化のお話をいただきました。直後にコロナ禍に突入したため二転三転の時期を経て、いよいよ完成しました。
映画の中には、私の父と母と兄、死後の3人が揃うシーンがあるんです。それを見ることができたのが非常によかった。創作であろうと3人一緒の姿が残ってくれたことで、私の心がずいぶん楽になりました。死後の世界で3人が仲よく暮らしていたら、それでいいじゃないかと。
中野監督らしく、終始明るく描いていただけたこともとてもよかったです。
――撮影に入る前に「理子さんのお名前はそのまま理子さんでいいんですか?」と確認をいただいたそうですね?
「いいです」と言ったのは加奈子ちゃんに対する「私は本名で逃げも隠れもしないから、やらせてください」という気持ちからでした。
というのも、自分に起きたことを映画に描かれるというのは勇気がいることだと思うんです。「いいよ」と言ってくれましたが、「ダメ」と言われても内容を変更して進めたとは思います。兄の死がどんなものであったのかが映画に描かれるチャンスを逃したくなかったから。
私たち書き手にとって、映像化される嬉しさには抗えないところがあります。何かを書くということは誰かに読んでもらいたい、見てもらいたい欲望が第一にあると思うのです。関係者に反対されてもきっと映画化は断念できなかったなと思います。
――完成した作品をご覧になって、感想はいかがですか?
理子役を演じてくださった柴咲コウさんとオダギリジョーさんの軽妙なやりとり、加奈子役を見事に表現してくださった満島ひかりさん、そして兄の娘と息子役のお二人も素晴らしかったですね。
脚本の直しなどもほぼなく完全にお任せして、中野監督の世界で撮っていただきました。唯一、私の夫役の方の髪の毛がふさふさで、みんなで「ふっさふさやなー」と言っていたくらいです。
原作とはまた違う、ザ・中野ワールドなので、あとから原作をお読みになる方がどのようにお感じになるかはわかりませんが、どちらも根底に流れるものは同じ。家族の関係性がテーマです。
――村井さん役は柴咲コウさん。作品が映像化される作家さんは数多いらしても、ご自身の姿が主役で描かれる作家さんはレアではと思います。
柴咲コウさんに村井理子役をやっていただくとわかったとき、ママ友たちも「ちょっと、これは」と思ったそうなんです(笑)。
でも、実際の映像を見て本当にびっくりしました。柴咲さんが「寄せてくれている」んです(笑)。この前ママ友の飲み会で、「すごいよね寄せ方が」と言われました。「やっぱりそう思った?」って聞いたら「思った」って(笑)。
健康とは「躊躇せずに守っていくもの」。変化のたびにさくっと受診してほしい
――オトナサローネは更年期障害の啓発を行っています。最後に、村井さん流の更年期の過ごし方、乗り越え方とはどのようなものでしたか?
私は結構積極的に病院に行くタイプです。具合が悪いとき、どうしようかな、寝ておこうかなではなくて、悪いなと思ったら即さくっとぱっと病院に行きます。それが功を奏していると思うので、皆さんも調子が悪いと思ったら迷わずさくっと病院に行ってほしいです。
とりわけメンタルヘルスに関してはけっこうこまめにメンテナンスをしていて、メンタルクリニックに行くことを絶対に躊躇しません。更年期も産婦人科とメンタルクリニック2本立てで、更年期の時期を特に問題なく乗り切りました。今も更年期の治療を受けていますが、症状が改善してきたので徐々に薬を減らしています。
私はウェブで日記を書いていますが、「メンタルクリニックに行くことをこんなに堂々と書いていいんだって驚きました」と読者が言ってくれました。嬉しいですし、みなさんもさくっと医療に頼ってほしいです。
――お兄さまのご病気しかり、医療リソースを上手に頼って、ぜひ健康を取り戻して前を向ける未来がいろいろな方にあってほしいですね。今日はありがとうございました。
お話・村井理子さん
撮影/松山勇樹
翻訳家・エッセイスト。愛犬は長い棒を回収する琵琶湖の至宝。『射精責任』(太田出版)『ラストコールの殺人鬼』(亜紀書房)、『未解決殺人クラブ 市民探偵たちの執念と正義の実録集』(大和書房)、最新刊『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(大和書房)。映画『兄を持ち運べるサイズに』原作『兄の終い』。
■文庫版『兄の終い』村井理子・著 792円(税込)/CEメディアハウス
■『兄を持ち運べるサイズに』
11月28日(金)TOHOシネマズ日比谷他 全国ロードショー