
50歳を迎えるころ、これまでの働き方や暮らし方を見つめ直し、「この先の人生をどう生きるか」を考えるようになる人も多いのではないでしょうか。
シリーズ「50歳から考えるこれからの仕事と暮らし」では、人生の折り返し地点から新たな一歩を踏み出した人たちの選択と、その先に広がる暮らしを取材します。
本編では、福岡県朝倉市出身の松本亜樹さん(55歳)が、2017年の九州北部豪雨後、「あさ・くる」という市民団体を立ち上げるきっかけの一つとなった「リトリート」(*)プロジェクトなど、活動の背景のお話をお届けします。
*リトリートとは日常と離れた環境に身を置き、いつもと違った体験を楽しむこと
◾️松本亜樹さん
福岡県糸島市在住の55歳。一般社団法人「あさ・くる」代表理事。61歳の夫、23歳と18歳の娘の4人家族
【50歳から考える これからの仕事と暮らし #6 前編】
46歳、故郷の危機に「できることをしよう」
2017年、福岡県朝倉市や大分県日田市などを襲った「九州北部豪雨」では、土砂崩れによって多くの家屋が倒壊し、たくさんの人々が避難生活を余儀なくされました。この災害をきっかけに、「故郷・朝倉のために、何かできないか」と考えた46歳の松本亜樹さんは、行動を起こします。
亜樹さんは若い頃から青年海外協力隊に参加し、中国に2年間赴任。その後もNPO(非営利組織)やNGO(非政府組織)でボランティア活動を続けてきました。
「私の20〜30代は、阪神・淡路大震災後に『ボランティア元年』という言葉が生まれたように、人と人がお互いに助け合う機運が高まっていました。その後も東日本大震災、熊本地震と大きな災害が続き、そのたびに『自分に何かできることを』と動いてきました。けれど、まさか故郷が甚大な被害を受けることになるとは、まったく予想していませんでした。故郷が“被災地”と呼ばれることへの違和感、胸の奥に深く刻まれた心の傷など、心の中には消化しきれない感情が積み重なっていきました。だからこそ、『何もしない』という選択肢は、私にはなかったのです」と振り返ります。
子育てのために35歳のときに糸島へ
31歳で結婚した亜樹さんは、35歳のときに“子育ての地”として糸島市を選び、移り住みました。糸島市は、福岡市の中心部から車で約30分というアクセスの良さを持ちながら、海と山の自然が残り、田園風景が美しい場所です。自然と共生する暮らしを営む人も多く暮らしています。「草のにおい、土に触れる感触、雨上がりの空気、大木と寄り添う安心感……。子育てには、環境が大きく影響すると思ったんです」と亜樹さんは語ります。
東日本大震災(3・11)以降、関東圏から「これからの生き方を見つめ直したい」と考える人々が糸島に移り住み、人と人とがつながる温かいコミュニティが育まれていました。そうした人々の協力のもと、震災後には福島の親子を糸島に招き、リトリート体験をしてもらう「ぶんぶんリトリート」も実施されました。リトリートとは、日常と離れた環境に身を置き、いつもと違った体験を楽しむこと。福島の親子が、自然豊かな糸島の地でゆっくりとした時間を過ごし、心身をリセットさせていく様子から、つくづく人間は自然の一部だということを実感したのだそうです。

「ぶんぶんリトリート」で海でバク転する福島のお子さん
「そうだ、元気の種を蒔いていこう」
こうした草の根運動を日常的に行っていた亜樹さんは、九州北部豪雨による痛ましい被害に心を痛めながらも、「自然から受けた傷を癒やすのもまた自然」と考え、朝倉の子どもたちを糸島の海へと招きます。
それは、朝倉市で小学校のPTA会長を務めていた同級生からの言葉がきっかけでした。「廃校が決まっていた母校で、夏休みにさまざまなイベントが予定されていたけれど、豪雨の影響で学校が立入禁止になってしまった。子どもたちは、きっと我慢を強いられているはずなんだ」と。
企業の協賛を得て実現した海でのひととき。朝倉の子どもたちが海ではしゃぐ姿を見て、亜樹さんの胸に浮かんだキーワードは「自然」と「子ども」でした。
「災害そのものは元には戻せないけれど、その背景には、日本の多くの集落が抱える共通の課題がある。そのような課題を全部解決するのは難しくても、緩やかに対処していくことはできるはず。元気の種を蒔いていこう」。そう心に決めたのです。

糸島の海を走る子どもたち
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