男性自衛官として異例の7カ月育休取得。「産み落としてくれたら俺が育てる」「あたしゃウミガメか」ワンオペ育児で嫁を支えた夫の本音とは? | NewsCafe

男性自衛官として異例の7カ月育休取得。「産み落としてくれたら俺が育てる」「あたしゃウミガメか」ワンオペ育児で嫁を支えた夫の本音とは?

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
男性自衛官として異例の7カ月育休取得。「産み落としてくれたら俺が育てる」「あたしゃウミガメか」ワンオペ育児で嫁を支えた夫の本音とは?

男性の育休取得率が3割に満たない日本。いまだ、家事も育児も“女性の役割”として語られがちな場面も多いのではないでしょうか。変化してきているとはいえ、「男性の育休が取得しにくい雰囲気」があるという声も耳にします。

そんな中、陸上自衛隊という超男性社会では異例の7カ月の育休を取り、家事と子育てを担い、妻のキャリアを背中から押し続けた一人の男性がいました。

固定観念や、さまざまな「制約」を軽々と飛び越えていった夫と、それを支えに難関のキャリアを駆け上がった妻の物語を、元・陸上自衛隊幹部の有薗光代氏の著書からお届けします。

※本記事は書籍『セルフスタータ― 自分で自分を動かすスキル 米陸軍工兵学校で学んだ仕事と人生で大切なこと』(有薗光代:著/日本実業出版社 )から一部抜粋・編集したものです

突破口は笑ってこじ開けろ ――「制約」を「力」に変えるのがセルフスターター

攻める背中と、守る手

「スイートテンダイヤモンドは俺にくれ」 「嫁は元気で留守がいい」 「台所は俺のテリトリーだから入るな」 泣く子も黙る薩摩隼人でありながら、こんなセリフを照れずに言うのが私の夫です。

同じ工兵の部隊で「風神雷神」と呼ばれ、困難な任務では常に原動力であろうとする人であり、「自衛隊に女はいらん!」「ぎゃふんと言わせてやる」と息巻いていたのに、「ぎゃふん」と言わされたのは彼のほうだったそうで。

結婚の決め手は、その圧倒的な生命力。 土砂降りの演習場で皆の動きが鈍るなか、彼は「ちゃっちゃとせんか」と笑いながら激励する。その声で、場に力が宿りました。 「この人は何があっても生きて帰る」――私はそう直感しました。

ぶっきらぼうでも器用で細やか。そんな「男が惚れる男」が私と結婚すると、「家には男は2人いらん!」と言って、家事をすべて引き受けてくれました。 共働きのなか、昼は私の職場まで弁当をはにかんで届け、夜はご飯も風呂も準備完了。私の階級が上がるにつれ、「いつもピシャっとせんと」と、迷彩服のアイロンまで欠かさない。「中途半端な仕事はするな」が口癖でした。

妊娠したとき、私は幹部に必須の「教育入校」を前に迷っていました。産後3カ月で単身赴任――当時の常識では無謀でした。しかし、夫は言いました。 「産み落としてくれたら俺が育てる」と言い切り、男性自衛官として異例の7カ月の育休を取得。私は「あたしゃウミガメか」と思いつつも、その言葉で退路を断つことができました。

世間の価値観にとらわれないのがセルフスターター

夫のサポートがあったからこそ、私は幹部任官、難関試験の一発合格、米陸軍工兵学校への留学と、キャリアを加速させることができました。2歳の娘を連れて留学へ同行した夫の日記には、こう綴られています。

「聞こえてくるのは慣れない英語、嫁の罵声、そして2歳の娘のイヤイヤの声」 それでも彼は笑いながら、同じ留学生に日本食を振る舞い、母国を離れている仲間を元気づけました。 「必要なら自分がやる」と迷わず手を挙げる。状況を楽しみながら、自分の役割を創っていく。それが彼流の「セルフスターター」でした。

南スーダンへの派遣では、妻の1年にわたる海外派遣を支える夫として初のケースとなり、私は女性自衛官としてはじめて軍事部門司令官表彰を受けました。夫の「あっぱれ嫁さん!」は、困難を自分らしく乗り越え、前進するための私の最高のモチベーションでした。

ただし、夫の献身は、組織で評価されることはほとんどなく、時に上官から「昇任はないと思え」と冷たく言われ、ワンオペ育児で「戦力外扱い」されることもありました。それでも彼は、自分の信念を貫いた最前線の突破者でした。

ある日、私は夫に「なぜそこまで私に尽くせるの?」と聞くと、返ってきたのはこうでした。 「子どもの頃の夢は、育てた牛を品評会で優勝させること。牛に比べたら、嫁と娘の世話など屁でもない」 牛と並列にされた複雑な気持ちはさておき、その言葉から、私という人間の可能性を信じ、笑いながら支えてくれていることが伝わってきました。

そんな夫が令和5年2月、成人T細胞性白血病と診断され、入院翌日に余命110日と宣告されました。 しかし、抗がん剤治療と造血幹細胞移植を経て奇跡的に回復し、定年退官の5日前に退院できました。

退官式では、「育休で子どもを抱っこして腰や肩がパンパンになり、あらためて女性の偉大さを知った」「病を克服して、苦しむ人の希望になりたい」と語る予定でした。病気の後遺症でうまく声を出せなかった夫に変わり、私は車イスを押してその言葉を代読。会場では、涙をぬぐう隊員の姿もありました。 夫は「幸せだなあ」と何度もつぶやいていました。

工兵でもある夫は、性別や常識に縛られず、多様性の最前線で突破口を拓きました。制約があっても、自分らしく前に進み、周囲の力を引き出す――それはまさに、セルフスターターの姿そのものです。

あなたにとっての「制約」は何ですか? 学歴、年齢、立場、過去、価値観、プライドかもしれません。 あなたにも、きっとその制約を力に変え、突破口を開ける瞬間があるはずです。

■著者略歴:有薗 光代(ありぞの・みつよ)
元・陸上自衛隊幹部(三等陸佐退職)。高校時代、特攻隊員の遺書に衝撃を受け、「平和を次世代につなぐ」と防衛大学校を目指すが二浪して不合格も諦めきれず、自衛隊の最下級である二等陸士として入隊。上官の靴磨きからキャリアをスタートさせ、エリート幹部の登竜門とされる指揮幕僚課程に一発合格。日本人女性としてはじめて米陸軍工兵学校に家族を帯同して留学し、優秀な留学生に贈られる次席表彰を受賞。国連南スーダンミッションでは軍事部門司令官表彰(上位10%)および日本人初のジェンダー部門ノミネートを受けるなど、異例のスピードで抜擢と出世の機会を得る。合計4回の災害派遣、国連PKOに2回従事。現役の20年間で合計18回の防衛記念章を受賞。令和4年には内閣府国際平和協力本部長(内閣総理大臣)から感謝状を受賞。帰国後、制服組トップを補佐する統合幕僚監部に勤務中、夫の闘病を機に早期退職。退職後は、「女性・平和・安全保障(WPS)」をテーマで講演活動 を行うかたわら、築135年の古民家を再生した「門リトリートサロン」を創業 。人が自らの原点と再びつながる“人生の門出”を支援している。

◆関連記事◆
仕事でトラブル!パニックにならず、不測の事態に対処するには?米陸軍の「シナリオ想定術」なら、最悪の結果を回避できる


《OTONA SALONE》

特集

page top