日本人作家としてはじめて、ダガー賞の翻訳部門を受賞した王谷晶(おうたに あきら)さん。同賞は英国推理作家協会が主催する、すぐれたミステリー・犯罪小説に贈られる文学賞です。受賞作は『ババヤガの夜』英訳版(The Night of Baba Yaga/翻訳:Sam Bett/Faber & Faber刊)。暴力を唯一の趣味とする新道依子は、関東有数規模の暴力団・内樹會会長の一人娘の護衛を任される……。2人の女性が裏社会を生き抜こうともがくシスターフッド、女性の連帯が受賞のキーと言われます。
8月に開催された王谷さんと翻訳者サム・ベットさんのトークショーの内容から作品の内面的な魅力に迫ります。
撮影/©西田香織
狭い言語体系の中でやっていくと思っていたが、翻訳されると遠いところまで行く

写真中央・王谷晶さん 右・サム・ベットさん
「あっという間の1か月でした。普段は専業で小説だけを仕事にしていますが、普段は起きて気力が限界になるまで同じ場所に座っているインドアな生活をしています。取材など小説以外の各種連絡が通常の10倍くらいに増えて、てんてこまいになって1か月が過ぎました」
こう語り始めた王谷さん。自作の英訳を読むのは今回がはじめてだと思いますが、翻訳されてみた印象はどうだったのでしょうか?
「英語って相当使っている人口が多い言語です。日本語は世界的にみるとニッチな言語。私は日本語しか使えず、狭い言語体系の中でずっとやっていくんだと思っていたけれど、翻訳されるともっと遠いところへも行くのだなと、初めて我がこととして起きました。そうか、翻訳ってそういうことなんだと実感した感じです」
続いて、翻訳はどのくらい大変さでしたか?という質問にさらりと「370時間でした」と数値で答えた翻訳家のサムさん。
「大変さは毎回違うのですが。訳しながら英語が聞こえてくるようなことは毎回あるわけではないけれど、実際次の文中の言葉が流れてくるような気がして。トーンを見つけた、出会って、仲良くなって付き合わせていただいた感じでした。登山で例えるならば、あまり登りたくない山もある中、これはちょっとやってみようゾという、激しい山道もきれいな池もある感じでした」
「博多人形がある部屋」このシンプルな表現が持つかなり深い背景をどう英訳するのか
翻訳というシーンになってはじめて「そこに疑問があるのか」と気づくことがあったのではないかと思います、例えばどんなことがあったのでしょうか。このロウカとそのロウカは同じなのか、老化と廊下など。いかがでしょうか王谷さん。
「何気ない気持ちで書いていることを翻訳する、そうか説明が難しいなと。はなから日本国内だけで流通すると思って書いていましたが、たとえば博多人形がある部屋というのは日本の文化で生活してると和室なんだな、しかも古めの和室、ちょっと成金趣味っぽいなというシーンが浮かびます。ただ英語で言うとちょっと違うんですよね。ケースに入っているというのは鶏がカゴに入っているようなことかと聞かれたり。翻訳とは、ただ文章を訳するだけではなく、カルチャーの翻訳もあるのだなと知りました」
サムさんが答えます。
「そう、ある意味カルチャーの翻訳です。たとえば作家さんによってはきょうだいという表現を姉妹2人としたり、または決めなくていい場合もあります。複数形やジェンダー、それぞれの言語にそういう要素があります。僕は作家さんがどう考えてるかを考えようとしています。創作はイメージを言葉に変えるのだと思いますが、翻訳はそのときの作家さんの気持ちの再現に近いかもしれません。作家さんの代わりになり、立っていた立場にいるように、読んで咀嚼して同じようなものを作る、好きな景色を見て他人に説明するという部分があります」
これは日本文学ブームなのか?「それとも、この受賞の持つ意味は」
さて、最近では日本文学がイギリスはじめとして英語圏で注目を集めるようになりました。どこが注目されたと思いますか?と司会担当の編集者から。王谷さんが答えます。
「ここ10年ほど、特にイギリスでは従来と違った形で日本文学がブームとうかがっていたけれど、それらとは若干毛色の違うこれまで訳されてない真正面のエンタメ、アクション、バイオレンス。そこに女性作家という点でもちょっと違うのがきたぞって見てもらったのかなと思っています」
サムさんも続けます。
「でも、ブームではないと思っています。ブームですねってよく言うけど、ちょっとやめてほしいですね(笑)、ブームって当然終わる前提で言うじゃないですか、抹茶洋菓子ブームみたいな(笑)。あとから古いなって思うことがあるから、日本文学は60年代に三島由紀夫とかが結構翻訳されたから、再び『ババヤガの夜』のような読めばすぐわかる作家さんが世界にオリジナル性を届ける番がきたなと思っています」
日本時間10月5日早朝発表の「ラムダ文学賞」の動向にも注目
今回『ババヤガの夜』はダガー賞だけでなく、アメリカのラムダ文学賞にもノミネートされています。王谷さん、このことについては?
「ラムダ文学賞は日本ではそれほど耳なじみがありませんが、ミステリ部門では昔から翻訳が出るものを読んできたので、私は子どものころから賞を知っていた。自分がノミネートと聞いて、いいのかって、光栄だけどまじかって思ってる感じですね(笑)」
ラムダ文学賞は日本時間10月5日(日)早朝、アメリカからオンラインで発表の予定です。楽しみに待ちたいですね!!
『ババヤガの夜』王谷晶・著 748円(税込)/河出文庫