発達障害、グレーゾーン、不登校、非行など、さまざまな背景を持つ子どもたちと向き合う中で生まれた「子育ての技術」。きのぴー先生の新連載が始まります | NewsCafe

発達障害、グレーゾーン、不登校、非行など、さまざまな背景を持つ子どもたちと向き合う中で生まれた「子育ての技術」。きのぴー先生の新連載が始まります

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
発達障害、グレーゾーン、不登校、非行など、さまざまな背景を持つ子どもたちと向き合う中で生まれた「子育ての技術」。きのぴー先生の新連載が始まります

みなさんはじめまして!

私は児童自立支援施設併設校の元教師で、現在は子育ての悩みアドバイスを発信しているきのぴー先生と言います。 「1人も見捨てない」という信念のもと、Instagram、YouTube、VoicyなどのSNSでの発信、全国各地での講演会、個別相談などで活動しています。ありがたいことに、年間数百件以上のご相談をいただいており、現在は新規のご相談を一時的にストップせざるを得ない状況にもなりました。

今回40代50代の親御さん世代の読者が多いオトナサローネにて連載のお話をいただき、私が施設での教師時代に体験してきた実例、これまでに受けてきた数多くの相談、そして研究と失敗の中から生まれた「子育ての技術」を、体験談を交えて具体的にお伝えしていきます。私が大事にしているポイントはただ「ひとつ」。正しさや気持ちなどのフワッとしたものを伝えるのではなく、特殊な施設での実践を土台にした「再現可能な技術=子育て技術」をお伝えするということです。

まずは、ここにいたるまでの私の経歴を含めて、自己紹介をさせてください。

SNSや講演会で、親御さんから年間数百件以上の悩みが届く。子育ては「再現可能な技術」だと伝えたい

SNSでの発信、全国各地での講演会、個別相談などで受ける内容は本当に多種多様です。

例えば、

・学校に行けなくなった
・癇癪や暴言がひどい
・スマホを取り上げると暴れまくる
・子どもに対するイライラが収まらない
・勉強を一切せず不安でしかたがない
・病院に行くべきか、様子を見るべきか悩んでいる

ここには書けないご相談内容も多くあります。お子さんの年齢も、2歳から28歳までと本当にさまざまです。そんな中で、ご相談くださった親御さん方が、レビューにこのような言葉を寄せてくださいました。

「何をすればいいか、初めて具体的にわかりました」
「子どもとの関係性がみるみるうちに変わりました」

変化の理由は、私の話が特別に優しいからでも、うまいからでもありません。ポイントはただ「ひとつ」、先ほどもお伝えした通り、特殊な施設での実践を土台にした「再現可能な技術=子育て技術」をお話ししているからです。子育てについて「技術」などという言葉をつかって語ると、なんだか冷たく感じるかと思います。私もかつては、愛情・根性・絆・努力、などが大好きな人間でしたので。

しかし、子育てとは、愛情の量で決まるものでも性格の相性で決まるものでも、ましてや「親の器」で決まるものでもありません。子育ては「技術」です。僕はあえて声を大にして、そうお話ししています。「技術」というのは、学べ、練習でき、やり直せるものです。私は、「定型発達か、そうでないか。に関係なく、本気で困り、必死になんとかしたいと考えている親御さんの力になりたい」。そして、「子どもたちが、自分で生きていく力を身につけ、少しでも幸せになってほしい」そう思って活動しています。

この思いに至るまでには、私自身の大きな挫折がありました。

▶「トラックを盗んだ小学生」「親の顔を知らぬまま施設をたらい回しに」戦場だった教育現場

「トラックを盗んだ小学生」「施設をたらい回しにされる子」児童自立支援施設併設校での3年間

みなさんは、「児童自立支援施設併設校」をご存知ですか?

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児童自立支援施設併設校とは、犯罪などの不良行為をしてしまった、あるいは、そのおそれがある子どもたち、家庭環境などの理由から、通常の生活が難しい子どもたちが、入所または通所しながら、生活指導・学習指導を受ける児童福祉施設に併設された学校です。

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簡単に言えば 「かなり厳しい状況を生きてきた子どもたちが集まる学校」です。

例えば

・親の顔を知らぬまま、施設をたらい回しにされる子

・家に帰りたいと懇願しても、親に拒絶された子

・小学生でトラックを盗んで運転する子

私はかつて、このような子どもが通う児童自立支援施設併設校に勤務していました。

そこはまさに、日々ハラハラドキドキの「戦場」のような場所でした。

この学校の子どもたちとの出会いがなければ、教育に熱中することも、教員を辞めて、現在の活動を始めることもなかったと思います。

この学校での経験と実践こそが、現在のSNS活動のきっかけです。

「教師は天職ではなかったかもしれない」。~施設で打ち砕かれた自信と挫折

私はこの学校に赴任するまで、教師という職業を天職だと思っていました。楽しい授業や雑談、時に厳しめの愛のある言葉。そんな塩梅をバランスよく保っていれば、コミュニケーション力さえあれば、教師という仕事はなんとでもなる。子どもや保護者からの評判もよく、天狗になりきっていました。

しかし、見事にそのすべてが打ち砕かれたのです。

・勉強なんてほとんどしたことがない

・警察なんて怖くない

・普通という言葉が通用しない

どんなに面白い授業をしても、どんなに情熱を込めても、子どもたちの心に届くことはなく、反感と反発で、私の心は真っ暗闇に覆われていきました。朝4時に起き、太陽を浴びるために散歩をし、5時には最寄りの銭湯のサウナで自律神経を整えてからでないと、学校に向かうことができないほどでした。あれほど天職だと思っていた教師という職業が、どんなにあがいても通用しない。

それもそのはずです。ここは、もともと在籍していた学校の素晴らしい先生方でさえ、向き合うことが難しかった子どもたちだけが集まる場所。いやがおうでも、自分の「在り方」が心の底から試される環境だったのです。問題は、子どもたちではありませんでした。私自身の「在り方」だったのです。

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《OTONA SALONE》

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