45歳、千葉のマンションを売って過疎地へ移住。“浪費するだけの生活”をやめた女性が選んだ新しい仕事とは | NewsCafe

45歳、千葉のマンションを売って過疎地へ移住。“浪費するだけの生活”をやめた女性が選んだ新しい仕事とは

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
45歳、千葉のマンションを売って過疎地へ移住。“浪費するだけの生活”をやめた女性が選んだ新しい仕事とは

50歳を迎えるころ、これまでの働き方や暮らし方を見つめ直し、「この先の人生をどう生きるか」を考えるようになる人も多いのではないでしょうか。

新シリーズ「50歳から考えるこれからの仕事と暮らし」では、人生の折り返し地点から新たな一歩を踏み出した人たちの選択と、その先に広がる暮らしを取材します。

第一回となる本編では、42歳で会社員を辞めてリンパトリートメントサロンを立ち上げ、45歳で東京の過疎地域への移住を決意。人生の方向転換を図った土井智子さん(51歳)のお話をお届けします。

◾️土井智子さん
東京都檜原(ひのはら)村在住の51歳。同い年の夫、24歳の次女と3人暮らし。27歳の長女はすでに独立している

50歳から考える これからの仕事と暮らし

42歳、「心と体の健康が大事」と感じて脱サラ。サロンを開業

「地域おこし協力隊」をご存じでしょうか。都市部から過疎化が進む地域への移住を促し、地域活性化を後押しする国の制度です。
“若者に地方へ移住してもらう”というイメージが強いかもしれませんが、近年は年齢制限が緩和され、オトナサローネ世代でも制度を活用して地域移住の足がかりにする人が増えています。今回お話を伺った智子さんも、その一人です。

23歳で早めの結婚をし、24歳で長女を授かった智子さん。子どもを保育園に預けながら、正社員として働き続けました。

「ずっと総務や経理などの管理部門で働いてきました。さまざまな業界の経験を経て、最後に勤めていたのは英国企業の日本支社でした。国際的な事業を展開する企業ならではで、従業員の職場環境を改善し、メンタルヘルスを向上させるための『社内風土改善委員会』がありました。こうした考え方に触れるうちに、『会社は人がすべて。心身ともに健康でいることが何より大切だ』と実感するようになったのです」

当時の仕事は、ほぼ一日中パソコンと向き合う日々。目はショボショボ、肩はガチガチで、慢性的な肩こりに悩まされていました。
あるとき「リンパマッサージを受けたい」とインターネットでサロンを探していたところ、「オールハンドトリートメント」の文字が目に留まります。

そのサイトを見て興味を抱いた智子さんは、「受けるだけでなく、自分で施術できるようになって人を癒やしたい」と思い、資格取得を決意。このマッサージは機械を使わず、人の手によってトリートメントすることをコンセプトにしており、受講料は高額でしたが、迷わず申し込みました。

女性に特化したリンパトリートメントサロンを立ち上げる

女性のためのリンパトリートメントサロン

きっかけは、自身の体調不良でした。40歳を迎える頃、智子さんは「耳下腺腫瘍」を発症し、入院・手術を受けることになります。医師からは「手術の経過次第では顔面麻痺が残るかもしれない」と告げられ、精神的にも大きな不安を抱えました。

「入院の予定は2週間で、休暇は1カ月取りました。仕事が滞らないよう引き継ぎ業務を済ませて入院したのですが、いざ休暇に入ると人手不足を理由に『早く戻ってきてほしい』と職場から催促され、結局術後わずか1週間で復帰することになったのです」

この経験をきっかけに、「私が本当に送りたい人生はどんなものだろう……」と自分に問いかけるようになり、資格取得へと気持ちが傾いていったといいます。

開業までには、会社勤めを続けながら月に1〜2回スクールに通い、およそ1年半から2年をかけて技術を習得。「これからは誰かを癒やす仕事をしたい」そう決意し、当時暮らしていた千葉市内のマンションの一室を借り、女性専用のリンパトリートメントサロンを開業しました。

「オールハンドトリートメント」「ほかのお客様と会わない」「女性専用」というコンセプトに加え、加盟していた協会の認定サロンとして登録されたことから、定期的に通ってくれる会員も増えていきました。

人生の折り返し地点で考えた、今の自分に合う生き方とは

サロン開業から2年後、44歳のとき、智子さんはサロンの拠点を千葉県から東京都・新宿御苑へと移しました。長女は大学生に、次女は高校生になり、家族全員が東京都心へ通う生活スタイルへと変化していました。

ちょうどその頃、夫が転職を考え始め、家族にとっても「これまでの暮らしを見直す」タイミングが訪れました。

「サロンはどこでも開けるし、住む場所も千葉県にこだわらなくていい。都心に住むのもありだし、まったく別の場所でもいい。どこに住み、どこで働くかは、もっと自由に選んでいいんじゃないか」そんな考えが浮かんだといいます。

「45歳は人生の折り返し地点。このまま今の生活を続けることが、果たしてベストなのだろうか。浪費するだけの日々ではなく、もっと別の形で誰かの役に立てるのではないか」

そう真剣に考え始めたとき、「移住」という選択肢が見えてきました。

ある日、インターネット検索で目にしたのが「地域おこし協力隊」檜原村の募集情報でした。週末には夫と2人、関東一円の日帰り登山を楽しむのが趣味だったため、

「檜原村って、聞いたことがある。そういえば6年前に訪れたことがあったなぁ。たしか、東京都で唯一の”村”だった」と記憶がよみがえったといいます。

「このときインターネット検索で檜原村がヒットしたのはまったくの偶然だった」と智子さんは話してくれました。

本編では、千葉県から東京都唯一の村・檜原村へ移住を決意するまでの経緯をお届けしました。

後編▶▶「東京都唯一の「村」で古民家カフェ開業。移住6年、51歳で手に入れた“理想の暮らし”とは

では、千葉県のマンションを手放し、東京都唯一の村、「檜原村」に地域おこし協力隊の隊員として赴任し、カフェを起業。さらには仲間と農業法人を立ち上げたお話をお届けします。


《OTONA SALONE》

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