元TBSアナウンサーのアンヌ遙香がニッチな眼差しで映画と女の生き様をああだこうだ考え、“今思うこと”を綴る連載です。ほんのりマニアックな視点と語りをどうぞお楽しみに!
【アンヌ遙香、「映画と女」を語る #14】
今圧倒的に注目を集める映画といえば

『国宝』全国東宝系にて公開中 ©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
今一番観るべき作品といえば『国宝』ですね。吉田修一さんの朝日新聞での連載小説を「映像化不可能」と言われながらも映画化した傑作。任侠の一門に生まれながらも歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生を捧げた主人公・喜久雄(吉沢亮)の壮絶な半生を描いた一代記です。
私の周辺でもSNSでも「すごい」「圧倒された」「何回でも観に行きたい」との声がやみません。しかし!私の肌感覚ですが、私の周りの人に「『国宝』観ました?」と聞くと、「自分の身近な人が観に行って絶賛していたからすごく観たいんだけど…実はまだ」という人もわりといます。そう。これだけヒットしていながら、なんとなくまだ観られていないんです、という人、実はいらっしゃいますよね。
そこで僭越ながら「なぜ『国宝』を観るべきなのか」を私なりにお伝えさせていただきます。一部ネタバレを含む可能性がありますので、ご注意ください。
吉沢亮も、横浜流星も、渡辺謙も最高!だけど、私のいちおしは
歌舞伎役者の四代目中村鴈次郎(よんだいめ なかむら がんじろう)が歌舞伎指導に入り、一年以上の稽古を積んだ末に稀代の女形を演じた吉沢亮も、歌舞伎界の御曹司を演じた横浜流星も、上方歌舞伎の花形役者を演じた渡辺謙も、とにかく全員の演技に鬼気迫るものがあるのですが、私はぜひ人間国宝・万菊役を演じた田中泯を大画面で観てほしい。
観て、というより「ヤラレテ」来てほしい、というところ。李相日監督もインタビューでおっしゃっていますが「多くの俳優とは異なるたたずまい、ムード、化け物的な妖気」を醸し出しているのです。
人智を超えた人間国宝とは?
若き日の喜久雄(吉沢亮)と俊介(横浜流星)に「女形の凄み」を知らしめる、人知を超えた存在。1945年生まれの舞踊家、田中泯が舞う鷺娘の迫力たるや。特に印象的だったのは、ゆっくりと、本物の女形の重鎮がお話しになっているとしか思えない動き、トーンで「あなた歌舞伎が憎くて仕方ないんでしょう、でもそれでいいの、それでもやるの」と発されたとき。
まるで、、、スクリーンを超えて私たちひとりひとりの目をぎろっと見て言われているかのような、そんな感覚に陥りました。伝統芸能の世界に限らず、私たちは生きている限り、「役割」があります。それがたとえ好きじゃなくても、場合によっては「憎い」かもしれなくても、それでもいい、それでもやるのが生きるということ。
とにかく万菊さんの言葉、動き、表情すべてに心奪われます。もしまた劇場に行くとしたら、私は万菊さん=田中泯さんをもう一度全身で感じ取りたい。大スクリーンに映し出されるお顔の皺ひとつひとつもすごみがある。劇場でこそしっかり確かめていただきたい存在感がそこにはあります。
歌舞伎も、文楽も、狂言も、落語も、「今」を目に焼き付けるべし

『国宝』全国東宝系にて公開中 ©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
『国宝』によってはじめて歌舞伎の世界に触れた、そしてこれをきっかけに本物の歌舞伎を観に行きたいと思われた方、たくさんいらっしゃるでしょう。今再びの大々的歌舞伎ブームをまた引き起こすのではないのかと感じます。
私は大学で日本美術史を専攻していた関係で、10代のころから歌舞伎や文楽に親しんできました。歌舞伎に限らず、観劇などの趣味がある方に共通していえるのは「あの役者の、あの舞台を観た」というのが、何年たっても語り草となるということ。
私は早くして他界された十八代目中村勘三郎さんの歌舞伎を拝見したことが奇跡的にありましたが、今思えばそれがいかにすごいことであるか。一種自分が歴史の証人でもあるわけです。その時代その時代の名優という存在が必ずおり、そして後世に語り継がれる名演が必ず存在します。
同時代のスターを目撃することの尊さ
わかりやすくいえば、例えば立川談志師匠の『芝浜』を生で見たことがある、というのはすごいことですよね。芸術の世界では、そのときそのときに同時代のスターをしっかり目に焼き付けておくこと自体が何にも代えがたい財産になるのです。
自分がもしこの映画の中の観客だとしたら、喜久雄と俊介がタッグを組む『曽根崎心中』がそれに当たるでしょう。病の影響で片足を失った俊介が、喜久雄とやりたいと懇願し実現した『曽根崎心中』。遊女お初とともに死を決める徳兵衛との、足をつかった印象的な「ラブシーン」で知られる名作です。
実は若き日の喜久雄が代役というかたちで遊女お初を演じ、そのあまりのすごさに俊介が歌舞伎界から逃げ出してしまった、という経緯がある因縁の演目だったのです。
涙がとまらない…『曽根崎心中』
これはぜひ劇場でご覧いただきたいですが、舞台上の俊介の体は限界を迎えていました。続行不可能ではないか、と周囲が幕を引こうとする中で、舞台を続けた二人。魂と魂が共鳴し、ぶつかり合い、幼馴染であり生涯のライバルである二人にしかできない圧倒的な名演をみせ、その場にいた観客は感涙にむせび泣く、というシーン。
私もこの場面は涙が止まりませんでした。もし喜久雄と俊介が歌舞伎界に本当に存在していたのなら、歴史上の名演として語り継がれたことでしょう。『曽根崎心中』は1703年近松門左衛門による浄瑠璃が原作。300年以上前のものが、令和の今でも多くの人を泣かせるこのすごさ。『国宝』は歌舞伎そのもののすごさ、伝統の尊さを改めて実感させてくれるのです。
歌舞伎を観る機会があるなら同時代の役者さんたちの姿を必ずや目に焼き付けておこう、と心に決めました。歌舞伎に限らず、文楽であっても落語であっても、今しか見られない景色を目に焼き付けなくてはとしみじみ感じています。
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『国宝』 全国東宝系にて公開中
©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
原作:「国宝」吉田修一著(朝日文庫/朝日新聞出版刊)
監督:李相日
出演:吉沢亮、横浜流星、高畑充希、寺島しのぶ、渡辺謙