【祝】梅宮アンナさん。乳がん経験者だからこそ痛切にわかる、私が感じた「結婚する理由」。あなたがいてくれてよかった | NewsCafe

【祝】梅宮アンナさん。乳がん経験者だからこそ痛切にわかる、私が感じた「結婚する理由」。あなたがいてくれてよかった

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【祝】梅宮アンナさん。乳がん経験者だからこそ痛切にわかる、私が感じた「結婚する理由」。あなたがいてくれてよかった

アートディレクター・世継恭規さんとの結婚を発表した梅宮アンナさん。闘病記を連載中のオトナサローネは「おめでとうございます」の声であふれています。そんな中、「私も乳がんを経験したのでよくわかる」と語る読者の方にその体験と祝福を聞きました。

リンパ節切除のつらさ、軽く見られている気がします。ものすごく、ものすごくしんどいんです

こんにちは、46歳、中学生の息子と夫の3人で都内に暮らす専業主婦です。私はJJリアルタイム世代より少し下なので、アンナさんのイメージはモデルというより「いろいろあったタレントさん」でした。とはいえ長い間浮いた話がまったく出ないので「ちゃんと育児をしているのだろうな」と感じてはいました。

私はいまから2年前に乳がんを経験しました。経験したからこそわかります。

芸能人ってどう考えても怪しい代替医療やスピリチュアルに狙われやすいのに、あそこまできっぱりと「私は標準治療を選びます」「それ以外は断っています」と言い切ったアンナさんは本当にすごい。お騒がせな印象を持っていたけれど、あれはメディアの切り取りで、実はちゃんとした人だったんだということがわかりました。梅宮辰夫さんのお父様はお医者様ですよね、それはしっかりしているはずです。

アンナさんは右乳房とリンパ節郭清を受けましたが、リンパ節切除って、本当に本当に重大で大変なことなんです。私は取らずに済んだのですが、取った人はみんなものすごい苦労をしています。

たとえば友人の、卵巣がんで癒着があったため子宮も卵巣もまるごと取った人は、足の付け根のリンパ節も切除しました。いまはちょっと体調を崩すとそこが腫れ上がって歩けなくなり、高い熱にも苦しみます。体調管理がものすごく大変と言っています。

乳がんで転移があり、脇のリンパ節を取った友人は、重いものが持てなくなりました。無理をして持つとリンパ節から腕がぶわーっと腫れてしまいます。生活に制限がたくさん生まれてしまったのだそうです。

リンパ節をいちばんたくさん切除した友人は「とにかく虫刺されが命とりになるから気をつけろ」と言われていて、実際ものすごく気を付けています。真夏も長袖長ズボン。刺された口から何かしらの感染が起きるリスクがあるのだそうです。

そんな大変な手術のあとに、もう1つの抗がん剤と、さらにあんなにつらい放射線を受けていますよね。これって、ものすごい忍耐力だと思うのです。

私の乳がんの経緯。いちばんショックを受けたのは「明日病院にきてください」の瞬間でした

私の乳がんは今から2年半前、息子が小学校4年生の1月に見つかりました。年末の健康診断で乳房のエコーを繰り返し撮っているので「これは何か出たな」と気づき、結果が出る1か月後まで不安が続くなと思っていたら、翌日すぐ電話がかかってきました。「明日病院にきてください」と言われたときが闘病を通じていちばん動揺した瞬間でした。

年明けに検査をして、1月末に乳がんだと診断されました。手術予定日は3月10日ごろ。ですが息子が春休みに10日間の合宿に行く予定がありました。どうしよう、私が手術と知ったら息子は合宿に行きたくないって言うかもしれない。ですがこれは杞憂で、息子には逆に「ママ、いまさら『行かないで』なんて言わないでね?」と言われました。

最初は「部分切除でいいですよ」と言われましたが、あとから「全摘になるかも」と言われました。私、どこかで部分切除のほうが軽いと考えていたんですね。全摘と言われた瞬間に泣き崩れました。痩せ型で、自分ではあってもなくっても変わらないような胸って思ってたけれど、それでもこんなにショックなんだなと自分でも意外に思いました。

もうひとつ、きっと怖かったんだろうな。乳房を切除したトランスジェンダーの方の堂々たる写真を拝見したことがあります。尊敬すべき覚悟ですが、私は横一直線の傷痕に痛みを感じ取ってしまいました。自分がそれに耐えられるのだろうかと不安になってしまったのです。

不安に不安が重なる日々でしたが、手術前の先生同士のカンファレンスで「まだ相対的に若く乳腺の活動が活発なせいでMRIを悪く読影しすぎているのではないか」という意見が出たそうで、「まずは部分切除にして、取り切れなかったら再手術にしませんか」と言われました。予後は全摘でも部分でもそれほど変わらないそうですが、それよりも先生たちがそこまでちゃんと検討してくれることに感動しました。

手術の際にまずリンパを1つ摘出、転移があるかを見て、あったらそこから郭清、広範囲にえぐり取るのですが、私の場合は1つ目に転移がなかったためそのまま閉じたそうです。手術後目がさめた瞬間に「リンパどうなりましたっ?」と不安で不安でいきなり聞いたくらいに、本当に不安でした。

がんだと告知されたらあれこれ迷わずただ「治す」しかない。標準治療を選べば

いまは毎年毎年、どんどん新薬も登場して新しい治療法も確立していくから、すごいですよね。がんは死なない病気になりました。

私の母も乳がんを経験しているので、最初は「きたか」と思いました。これもアンナさんと同じですよね。迷うでも悩むでもなく、ただ治すしかないんですよね。手術するしかない。私の場合もアンナさんと同様、「標準治療」以外の選択肢なんてまったく念頭にありませんでした。

まわりにがん経験者が多いとある程度「このがんはこういう治療」「放射線はこういう感じ」と知識がつきます。これもアンナさんと同じです。お父様・梅宮辰夫さんもフェニックスというくらいに長年がんに勝ち続けた人ですから、ある程度わかるという感覚が私もわかります。ひとつ違ったのは私の場合は病院を通いやすさ重視で近隣を選んだ点。ステージが低かったからできたことではありますが、これは私には大正解でした。毎日同じ時間に放射線治療に通うので、通いやすくないと本当にしんどいのです。

私は日本人の6~7割を占めるというルミナルA型、ホルモン受容体(ER・PR)陽性・HER2が陰性・Ki-67の発現が低いタイプの乳がんです。あまり抗がん剤が効かないため、手術後には抗エストロゲン剤(タモキシフェン)でのホルモン療法と放射線治療を受けました。私のがんは2ないかわり、散らばっていたので、点在しているのを放射線で叩こうとなったのです。

つづき>>>「病後もどんどん幸福になれるんだ」梅宮アンナさんの闘病に共感した私たちがんサバイバーが「よりいっそうお手本にする」理由


《OTONA SALONE》

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