「誰が本当の敵かがわからない」小学校受験名門幼稚園に転園したワーママが思いがけず巻き込まれた「恐怖の卒アル委員トラブル」 | NewsCafe

「誰が本当の敵かがわからない」小学校受験名門幼稚園に転園したワーママが思いがけず巻き込まれた「恐怖の卒アル委員トラブル」

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
「誰が本当の敵かがわからない」小学校受験名門幼稚園に転園したワーママが思いがけず巻き込まれた「恐怖の卒アル委員トラブル」

首都圏で中学受験が過熱する裏で、「面倒なことは早く終わらせた方が楽」と小学校受験を検討する家庭も少なくありません。

IT企業システム部門管理職、福岡出身の福子さん(仮名:47歳)は、娘のM美ちゃん(仮名:年齢非公開)が3歳になった時、「ふとしたきっかけ」でバイリンガル保育園から「小学校受験に強い名門幼稚園」への転園を決意したとのことです。

M美ちゃんは結果的に第一志望のK学園は落ちたものの、第二志望だったR女子小学校に合格しました。しかし、「お客様待遇」の保育園から「昭和の風潮が根強く残るお受験幼稚園」への転園は、福子さんの心に苦いトラウマを残しました。

前編『「筑波大附属小も、慶應幼稚舎も?」バイリンガル保育園から小受名門幼稚園に転園した「自身は旧帝大工学部卒」ワーママの後悔』では「良い意味でぬるい保育園」から、なぜワーママにとっては過酷な名門幼稚園に転園することになったのか、その経緯をご紹介しました。

【どちらにする?小学校受験と中学校受験 #1-2】

後ろ髪を引かれつつ、天国のような保育園から「どう見ても体育会系」な幼稚園へと転園

M美ちゃんがA幼稚園に合格したとなると、早急に決めなくてはならないのが、転園問題。研究者をしている夫の研さん(仮名:48歳)と福子さんは夫婦で頭を抱えましたが、B園の施設長先生の「もし転園してもいつでも遊びに来てください」という声に押されて、A幼稚園への転園を決めます。

「一番親しくしていた美大卒の広告代理店ママ友も『淋しくなるけど、M美ちゃんは身体能力もコミュニケーション能力も高いから広い園庭で大人数だと楽しいかもね』と言ってくれました」。

進級式がはからずも転園式となり、先生方やママ友パパ友に暖かく送り出された福子さん親子。

「まず、A幼稚園の入園式で驚いたのが、『本当に芸能人が多いんだ』ということ。それと、パブリックイメージがあまりよくないというか、『おバカ』や『天然ボケ』を売りにしていたママさんパパさんも何人かいらっしゃって、少し怖気づいたのが本音です。夫が子供時代通っていた幼稚園には芸能人はいなかったそうで『そういう校風なんだろうか?』と首を傾げていました」。

とはいえ、入園してしばらくすると「おバカ」というパブリックイメージのママが必ずしも抜けているわけではないことを知ります。

「むしろ、私の娘と同じクラスになった芸能人のママさんは、昔おバカタレントを標榜していましたが、チャキチャキと保護者会をしきってくださる地頭の良い方でした。よく考えたら当然ですが、テレビでおバカのふりができること自体、回転の早い人ならではの貴重な芸なんですね」。

春夏は園庭を裸足で駆け回ってもいいという、自然派で体育会系の校風もあってか、在校生の子供達は元気で礼儀正しい子が多かったそう。

「A幼稚園のご両親は、B園とは全然雰囲気が違って、少し服装や髪型が派手目でした。ママは、どちらかというと勤め人は少なく、専業主婦や、マナー講師、バレエ教師、料理研究家の方など、自営業が多い印象でした。もうひとつ、たまたまですが、私のクラスは『元CA』というママが多かったです。パパの職業は医師やスポーツ選手やテレビ局勤務など様々ですが、職業がどうこうというより、B園のような『メガネでスーツでリュック』という量産系理系男子が少なく、髪型も服もアパレル業界っぽいおしゃれさがありました」。

入学式の日、娘とお揃いのキティちゃんのハンカチを持っていた女の子のママはアパレルの広報担当者で、そのママと同じマンションに住んでいるという大手出版社勤務のママと3人でよくお茶をする仲になった福子さん。

「『よくお茶をする』というのも、B園ではない文化でした。でも、どこかのグループに所属して情報交換をしないと、とてもじゃないですが情報についていけないくらいイベントが多いんです。お花係に、バザーにお遊戯会に、園庭の石拾いお掃除ボランティア。音楽会の衣装作りから落語体験会のお世話係。うっかり都合がつかないときに『お当番を代わっていただけませんか』『縫い方を教えてください』とお願いするママ友も必須でした」。

それでも、親しいママ友と励まし合い、芸能人のママ友とも、軽い談笑を交わす程度の付き合いはできるようになった福子さん。

「どうしてもお迎え時間に間に合わないことがありましたが、義理の母に頼んだり、送迎込みの幼児教室と契約したりして乗り切りました。特に親しいわけではないママ友との付き合いは、基本姿勢はB園と同じで、お天気の話やテレビ番組の話をして、笑顔でささっと切り上げる感じです。もしかして私のそんなところを、あまりよく思っていないママもいたのかもしれません」。

ワーママが「名門園」で浴びる洗礼…「名門園は母親のコミットを重視する。そもそもワーママを歓迎していない」

その後福子さんは、昭和の古き良き伝統を残す名門幼稚園の洗礼を受けることになります。まず、A幼稚園には、M美ちゃんが通園していた当時は「PTA的なボランティアは母親の会」という暗黙の了解があったそう。

「お花係の時は母親が園に行って花瓶に生ける、花壇の花のお世話も母親。何かと平日の母親を借り出して、そのたびに仕事は半休に。アパレル広報ママと出版社のママとは、冗談で『私の時給をいくらだと……』とぼやきあっていました。なぜか、特別な理由がない限り父親は不可という雰囲気で、紙のお便りにも『お母様が』と書かれているんです」。

それでも、演劇の衣装は会社の入っているビル内の裁縫店に外注し、当たり障りのない「お天気の話とテレビ番組の話」で円満になるよう努めた福子さん。問題は、受験が本格化した頃にやってきました。

「我が家は送迎付きの幼児教室に通っていましたが、保護者の付き添いが必須の日に大事な仕事が被ってしまい、平身低頭で義理の母親にお願いしました。受験直前は『無理のないペースで』と言いながらついつい力が入って娘を泣かせて反省したり。泣かせてまで小学校受験をさせるべきなのか悩んで、夫婦喧嘩も増えて、精神的にもギリギリの中で受験の日を迎えました」。

受験は、M美ちゃんにとっては習い事感覚だったようで、どの学校も「受かったかも!」と上機嫌だったそう。

「我が家は、6校の私立を受けました。主人はK学園大学の出身なのですが、その小学校は落ちてしまい、少し落ち込んでいました。それでも、娘本人が校舎を気に入ったR女子小学校に合格して、胸を撫で下ろしていました。ここなら、福岡の両親にも名前が知られていますし」。

「第一志望落ちママ」の逆恨みで卒業対策委員LINEが不穏に。被害妄想で「卒アルが不公平」と言いふらされ

最後に大きな爆弾を落としたのが、卒対委員の卒業アルバム係のトラブルでした。

「委員自体は15人いたのですが、まずLINEのグループチャットで全員『匿名LINEではなく、個人個人もつながりましょう』という方針をとっていました。その中でも私やアパレルママ、出版社ママは画像編集ソフトが使えるということで、『卒園アルバムの制作係』に任命されました」。

毎年、アルバム担当は、「全員の写真を平等にレイアウトする」ことに神経を使う大変な係だそう。

「それだけでも気が重いのに、卒業アルバムを外注先の費用が高すぎるとか、そもそもどこまで外注してどこまで手作りするのかという問題まで、長文で、ああでもないこうでもないと真っ昼間からメールが止まらないんです」。

極め付きは勤務先がサイバー攻撃を受けてサーバがダウンした日。へとへとで仕事を終えた福子さんがLINEを開くと、目に飛び込んできたのは50件を超える長文メッセージ。さすがに、これは付き合い切れないと感じたそうです。

「さらに一番頭が痛くなったのは、受験のストレスでとあるママさんの被害妄想が酷くなったこと。その方は卒対では『謝恩会担当のママ』なのですが、娘さんが第一志望のT小学校を落ちてしまって。一方で、私と親しいアパレルママの娘さんは、合格したんです……」。

不合格だった謝恩会ママは読者モデルもしている華やかな女性で、自身も小学校から大学までお嬢様系女子大付属校に通っていたそう。福子さんの知り限り、第一志望不合格を悩んでいる様子はなく、「私の母校の女子校に受かったから、かえってよかったわ。女子と男子って成長速度が違うっていうし、共学よりもね」と、娘の進路を気に入っている様子だったそう。

「謝恩会ママは、芸能人ママの仲良しの一人なんですけど。合格発表後からなにかと国立に受かったアパレルママと、彼女と仲が良い私たちアルバム担当を避けるようになって。アルバム制作でも『アルバム担当はうちの娘の前歯がない小さな写真をわざと選んだ。うちの子の方がピアノがうまいから嫉妬されている』『うちの子が合唱でピアノ係になったのは、ピアノの腕じゃなくてルッキズムだって悪口を言っていた』と芸能人ママに吹き込んだみたいで」。

アパレルママと、謝恩会ママは、それまでも同じ女性ファッション雑誌に登場することもあったものの、さほど親しく言葉を交わすことはなかったそう。

「芸能人ママは一本気な方なので『そういうことはただの噂かもしれないんだけど……大人同士の関係性で、子どもの写真の大きさを変えたりするのはやめようね。大変だと思うけど、できるだけ同じ数と大きさで選んでください』と、LINEにぶち込んできて大騒ぎに。というのも出版社ママはレイアウト担当で、アパレルママと一緒に子どもの写真を選定したのは、実は私なんですよね」。

福子さんは聞く勇気がなかったそうですが、出版社ママが「誰とは言わないけどママ友に聞いたんだけど、その、ピアノ係のルッキズム云々の話はどこで聞いたの?」と本人に聞いたところ「ママ友が園庭で聞いたって……私も誰とは言えませんが……」と尻すぼみになったそうです。

悲しいことに「そんなにモメるほどの出来でもなかった…」。激やせして卒園したが、入学したR女子小学校ではなんと

「結局は、『大きさに差をつけたつもりはありませんでしたが、お子さんが悲しんだならごめんなさい。調整を希望される方は◯日までに個別でLINEください』と出版社ママがグループラインにメッセージを送って沈静化。謝恩会ママは、娘さんの写真を急遽差し替えて、事なきを得ましたけど」。

完成した卒業アルバムは「ごく普通の出来」で、「なぜ外注ではダメだったのか」と今でも思っているそうです。

「どれだけ私たちアルバム係の悪口を言われていたかと考えると、頭が痛いです。謝恩会ママや芸能人ママには、いちいち釈明するのも不自然なので、会ったらテンプレ笑顔で元気に挨拶して3秒で『ではまた』と目を反らしていました。正直、その時期は仕事のバタバタも相まって誰が本当のことを言っているのかと人間不信になり、トラウマになっていて。一時期は激ヤセしてしまいました」。

その後、無事、小学校に入学したM美さん。

「なんと小学校では、B園で仲良しだった、広告代理店ママの娘さんが同級生でした。そこのお宅はパパも美大卒のCMディレクターで、『子どもはのびのび育てたい』系のキャラだったので意外で。勝手な印象ですが、仮に私立でも共学系かなって思っていました」。

M美ちゃんは家も近い幼馴染と同じ学校で、とても喜んでいたそうです。

「広告代理店ママは近所に住んでいた実のお母様と、B園から別料金で派遣されるキッズシッターさんに幼児教室に送迎してもらったそうです。そう聞くと、結果が同じなら、私も別に転園しなくてよかったかな、と今となっては思うこともあります」。

一方で、当のM美ちゃんは「B園もよかったよ。先生もお友達も好きだった。でも英語がなんかめんどくさいよね。A幼稚園はなわとび検定1位だし、お砂場広いし、最高だよ」とA幼稚園推し。

「B園には3歳までしか行っていないので、直近の思い出が良く思える可能性はありますけど。娘にはA幼稚園はあっていたみたいです。特に体操の先生は体力のある娘をかわいがってくださり、足がより早くなったことは親としても感謝しています。造形の先生もプロ並の器用さで、折り紙や簡単な切り絵が大好きになったのも合格の一因かもしれません。でも、それでも……親の身勝手で申し訳ないですが、仮に下の子がいたら、子ども本人が嫌がらない限りB園から動きません」。

つづき>>>>「筑波大附属小も、慶應幼稚舎も?」バイリンガル保育園から小受名門幼稚園に転園した「自身は旧帝大工学部卒」ワーママの後悔

※本作は取材に基づいたストーリーですが、プライバシーの観点から、個人が特定されないため随時事実内容に脚色を加えています。


《OTONA SALONE》

特集

page top