新宿署痴漢冤罪憤死訴訟、来年3月判決へ | NewsCafe

新宿署痴漢冤罪憤死訴訟、来年3月判決へ

社会 ニュース
2009年12月、東西線早稲田駅で大学職員の原田信助さん(当時25)が電車にはねられた。自殺とみられている。このことに関連し、前夜に新宿署で行われていた痴漢容疑(迷惑防止条例違反)での取り調べが違法であったとして、遺族の母親・尚美さんが東京都を相手取り、損害賠償を求めている裁判で11月17日、証人尋問があった。新宿署長と生活安全課長(いずれも当時)が証言をした。

09年12月10日夜、原田さんは転職先の歓迎会のため吉祥寺で飲んでいた。帰宅途中、JR中央線から山手線に乗り換えようとしていた。原田さんが山手線のホームに登る途中で女性とすれ違った。そのとき、女性は原田さんが「お腹を触った」と主張し、口論となった。それに気がついた友人らが原田さんに近づき、喧嘩となった。争っている中で、原田さんが110番通報をしている。

原田さんは相互暴行の被害者として新宿署に任意同行したが、新宿署では、痴漢の加害者としての取り調べのみが行われた。なぜ自分が痴漢の加害者とされたのかわからないままだった。それは原田さんがICレコーダーで録音していたからわかった。翌朝、新宿署を出た後、原田さんは亡くなった。

死後2日後(09年12月14日)、相互暴行事件は刑事課、迷惑防止条例違反事件は生活安全課の管轄だが、両課による「特命捜査本部」が設置された(被告側の東京都や新宿署長、捜査の指揮にあたった警部補は、この名称の捜査本部の存在を認めていない)。

死後にJRから提出された防犯カメラの映像がある。しかし、特命捜査本部の指揮にあたった警部補は防犯カメラの映像は見ていない。新宿署長も見ていない。生活安全課長は見たが、原田さんが痴漢と断定できる映像はなかった、と証言した。また、警部補は目撃者探しもしていないが、新宿署長も、生活安全課長も進言していない。繊維鑑定も行われなかった。

そのため、目撃者探しは遺族の尚美さんがせざるを得なかった。原田さんの死後、尚美さんは副署長と生活安全課長と面談しているが、そこで、目撃者探しを依頼している。また、JR新宿駅の助役に業務日誌を見に行ったり、110番通報メモの証拠保全をするなどしていた。

それにしても不可解なのは「特命捜査本部」だ。これまでの陳述書や証人尋問での証言によると、原田さんが亡くなった翌日(12月13日)、刑事課長代理の警部補が、刑事課と生活安全課の合同捜査本部としての設置を申し出ている。そして14日に設置されることになる。しかし、事実上の指揮が警部補で、その上司である新宿署長も生活安全課長も、捜査に口を出していない。つまり、新宿署内に設置されながらも、署長の権限が及ばない状態にあったのではないか。署長も生活安全課長も「警部補にお任せしていた」と証言した。

新宿西口交番で痴漢の被疑事実を伝えずに新宿署に任意同行を求めたこと、相互暴行の被害者として原田さんが110番通報したにもかかわらず、暴行については取り調べが行われなかったこと、被害女性は、原田さんの服装と痴漢の実行犯との服装が違っていたことで、被害届けを出さないと上申書を書いていた、110番通報メモにも、服装が違うことが書かれていた。これらのことを踏まえれば、きちんと捜査はしていなかったのではないかと思えてならない。

2011年6月に提訴してから4年半。この日で結審となり、これまでの審議を踏まえた最終的な主張を原告、被告ともに2月までに提出する。判決は来年の3月15日に言い渡される予定だ。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中
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