坂茂、日本人建築家の偉業 | NewsCafe

坂茂、日本人建築家の偉業

ビックリ ニュース
3月24日、建築家にとって世界最高の栄誉とされる米・プリツカー賞に、日本人建築家の坂茂(ばん・しげる)氏が選ばれた。日本人の受賞は昨年の伊東豊雄氏に続く2年連続となる。坂氏が受賞するに至った理由を主宰・ハイアット財団の会長はこう説明した。

「20年以上にわたり、自然災害によって引き起こされた過酷な状況に対して創造性と質の高いデザインで応えてきた」

■建築家・坂茂
東京、ニューヨーク、パリに拠点をおき世界中で活躍する建築家の坂氏。これまで、個人住宅から文化施設にまで革新的で上品な設計を手がけてきた。2003年、女優・吉永小百合が出演したCMに使われた「壁のない家」では、「中」と「外」が連続する空間に人々を驚かせた。また、弱者の住宅問題に鋭い関心を寄せ、難民キャンプのためのシェルターを国連に提案し開発・試作した。被災地を飛び回る新しいタイプの建築家として、その精力的な活動に「疲れを知らない建築家」との呼び名もある。

■紙で造る建造物
中でも、坂氏の建築の代名詞と言えるのは、紙管を建築の構造材として使用した建築物だ。紙や段ボールといったシンプルな素材を使い、自然災害で家を失った被災者のための仮設住宅などの建築を手がけている。紙というと弱いイメージがあるが、紙管はとても強い素材であり、牛乳パックに紙が使われていることからもわかるように防水加工も容易にできる。さらに、火災にも強いという性質に着目し、安価で世界中どこでも手に入る、紙を基調とした建築を世に広めた。

■「紙」を武器に世界に挑む
坂氏は1994年、民族紛争による大虐殺が起きたルワンダで紙の管を使った難民シェルターを開発・試作から始まり、95年に「Voluntary Architects'Network」を設立し、阪神・淡路大震災では、焼失した教会のために建てられた集会所、「紙の教会」などを設計した。それをきっかけに世界各地の被災地に出向くようになる。津波の被害を受けたスリランカの漁村では50軒の復興住宅を建設。中国四川省では仮設小学校建設を行った。いずれも紙管を使ったものだ。また、東日本大震災では、避難所におけるプライベートやストレスを配慮し、紙管で柱と梁をつくり、布をカーテンのように吊るす「簡易間仕切りシステム」を提案し、被災者を環境ストレスから救った。

■紙が恒久的な建造物へ
坂氏は、建物の耐久性は素材とは無関係であると指摘している。コンクリート製の建物が簡単に壊れてしまうこともあれば、紙管の建物が永続性を持つこともあるとし、実際に阪神・淡路大震災の時に建てられた「紙の教会」はその後、10年間利用されている。さらには、この「紙の教会」を一度解体し、台湾の地震をきっかけに寄贈・移築され、今現在でも利用されているの。

■なぜ、人道支援に力を注ぐのか
被災者のための建築を手がけた背景には、自分たちの職業に対する「失望」があったと打ち明け、こう語っている。

「歴史的にみて建築家はずっと特権階級のために仕事をしていました。政治家や資産家の財力や権力を視覚化するために建築家は存在し、その流れは今も大きく変わっていません。医師や弁護士には、マイノリティの人々を助けるために仕事をしている人もいます。建築家もできないだろうか。そうした疑問から、災害支援のプロジェクトを行うようになりました」

今回の「プリツカー賞」受賞を受け、坂氏は予想外の受賞に驚いていた。「この賞は僕が建築家としての実績を評価されたというより、これからも続けていきなさいと勇気づけられる賞と受け止めています」と建築家としての生き様を感じさせる言葉であった。

※画像は「紙の教会」
参照元:Welcome to the new TED.com(英語)
【執筆者:王林】
《NewsCafeコラム》
page top