なぜ「音」は人を狂わすのか | NewsCafe

なぜ「音」は人を狂わすのか

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「Mちゃん、随分上手になったんじゃない?練習の成果がでてきたんだねー」

ピアノを弾く。情操教育にも音楽は素晴らしい効果を発揮するが、それ以上にピアノが弾けることは「ゆとりのある教育をしてきた証」になる。
1970年代、高度経済成長期の真っ只中のこの時代に多くの一般家庭で子供にピアノを習わせることが流行った。やっと「生きていくこと」だけに注力しなくてもいいような時代になったことも流行の背景にある。神奈川県・平塚市の団地に引っ越してきたOさん一家も娘にピアノを弾かせていた。「これがいつか''たしなみ''として宝物になる日がくる」。そう思うと娘がピアノと音で戯れる風景を見るのは幸福でしかない。

しかしそんな一家の幸福が「地獄」としか思わない人もいる。団地やアパートにアップライト式ピアノが部屋の片隅に置かれるようになるにつれて出てきた定番の問題、騒音である。

「なぜ俺が下の住民にこれほど気を使わなくてはいけない?」
当時46歳の大濱のイライラは頂点に達していた。もともと音に敏感で神経質、私生活も上手くいっていない中年男にとっての唯一の安息場所は自宅だ。その自宅がなぜこんなにもうるさいのだ?
音から何度かピアノの騒音苦情も言いに行った。しかし改善の様子は見られない。
だから最近は音から逃れるために図書館へ出向く。


うるさい。とにかく、うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい・・・


大濱は決意した。悩みのもとを消すしかない。
大濱は刺身包丁を手に真上のOさん宅へ乗り込み、Mちゃん(当時8歳)とYちゃん(当時4歳)、母親のYさん(当時33歳)を刺殺した。
この事件は「平塚ピアノ騒音殺人事件」として大々的に報道され、ピアノブームと騒音のセットで社会問題となった。

この事件から40年以上経った今でも隣人との騒音トラブルは絶えない。
今では「数ある隣人トラブルのうちの一つ」として内包されている感があるが、この騒音トラブルが時に他のトラブルより表に出る時がある。

子供だ。

少子化が進む中、子供の泣き声や笑う声、はしゃぐ音は「未来の宝」として微笑ましいもののはずだ。
しかし、逆を言えば大人ばかりの環境では「目立ち過ぎる」のだ。

昨年、東京地裁では「真上に住む家族の子供が飛び跳ねてうるさい」という騒音トラブルの裁判が行われた。結果、判決は騒音を訴えた夫婦の訴えが全面的に認められた。
子供の親には「我慢の限度を超えている」「親は音に配慮する義務を怠った」として慰謝料や騒音によって引き起こされた頭痛の治療費の支払いが命じられた。

人間、生きていれば常に音を出すものだと言えるだろう。子供はなおさらである。

この前提を皆が心のどこかで受け入れていれば理想的だ。
しかし人は大人になって自分も昔子供だったことを忘れてしまう。そして心の中で「自分はあれほどうるさくなかった」「親は何をしているの?」「子供だからといって何でも許されると思うな」と憎らしげにつぶやく。

一方、こうした大人に対してとにかく目の前の子供に精一杯の親たちは静かに怒る。
「じゃあどうしろと?」「子供だから仕方ないでしょ」「子供に怒るなんて、なんて大人気ないんだろう」と。

子供だけではない。
「あんたのところの犬がうるさい!」「うちの○○ちゃんは何も悪いことはしてない!」「夜に風呂場で歌うな!響くだろ!」「あんたこそテレビの音、どうにしてよ」・・・


数々の騒音トラブルに、あなたは何を思うだろうか?

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