なぜ彼は散弾銃を乱射したのか? | NewsCafe

なぜ彼は散弾銃を乱射したのか?

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「俺には大きなことができる。どうせ人間死ぬんだしさ」

そんな言葉を友人に語ったというM、当時37歳。このMが言った「大きなこと」とは地元のスポーツクラブに迷彩服で乗り込み、散弾銃を乱射することだった。

2007年の師走、とある日の夜に長崎県佐世保市にあるスポーツクラブで散弾銃を持った長身の男が銃を乱射、水泳の女性インストラクターと犯行を阻止しようとしたMの友人が殺害された。世間を震撼させ、銃規制の強化が叫ばれるようになったあのルネサンス佐世保散弾銃乱射事件である。

結局Mは世間に恐れられ、注目されたかったのかもしれない。彼の中にはもう、人生の晴れ舞台は大事件を起こすことしかなかったのだろう。仕事は続かないのでキャリアもない。父親の退職金をせびり、金融機関に600万近い借金を背負いながら新車と船を購入する浪費の日々。

「今から何をどうがんばればいい?結局俺は何にもなれなかったのだから」

Mは地元の高校を卒業後、福祉系の専門学校に入学するも中退、その後職を転々とする。
しかし仕事上で注意を受けるとずっと引きずり、激怒したりすることもあったという。自尊心が高いのだ。「俺はお前なんかに注意を受ける人間ではない」とでも思っていたのかもしれない。そんな彼の高い自尊心を維持するためだろうか、Mは弁護士を目指して司法試験を受験。そして不合格の連続。「こんなの、本当の俺じゃない。俺はもっと高みに上がれるはず」。

しかし現実は「無職・司法試験連続不合格・親のすねかじりの浪費家、37歳」。
Mは自分の人生には理想とする「大きなもの」は期待できないと悟ったのだ。

スポーツクラブでの銃乱射事件直後、死亡した女性インストラクターに恋愛感情を抱いていたが恋が叶わかったことが犯行理由との報道があったが、真相は不明だ。無職で高額な負債を負っていたことも要因として考えられるだろう。

Mの家族はカトリック一家だった。Mも幼少時に洗礼を受ける。
Mがどれだけ真剣な信仰を持っていたかは不明だが、幼い頃から受けてきたカトリック思想はきっと彼に多大な影響を与えたに違いない。
しかし「現実とキリストの教えにはギャップがありすぎる。現実は教え通りにはいかない」。そう感じるようになったのか、成人してからはカトリック教会には来なくなったという。

ところで奇しくも同じくカトリック一家に育ち、五歳で洗礼をうけたにも関わらず5人を殺害した凶悪犯が過去にいる。1963年に発生したかの有名な西口彰事件だ。
裁判で「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と評されたこの事件の中で西口は逃走中に弁護士や大学教授などの社会的地位の高い、尊敬を集めやすい職業を偽装していた。
これらの職業を出すことで世間の人間が簡単に尊敬の眼差しを向けることを熟知していたのだろう。人は肩書きで簡単に騙される。心のどこかでこうした人間心理に嫌悪感を抱きながらも、偽装中に向けられた尊敬の念は西口の自尊心を満たしたに違いない。

Mも西口も、「何かを持つ人間」になりたかったのだ。金や権力、才能、尊敬など、その「何か」は人それぞれだが、Mと西口はまず、「今の自分じゃない自分」になろうとしたのだろう。
結局、何にもなれなかったMは絶望した自分の心を隠すように迷彩服・防弾チョッキを着込んで銃を乱射。犯行後、かつて通っていた教会の敷地内で自殺した。

自尊心や理想が高く、「今の自分ではない、何かになりたい」と願う若者は多い。しかし現実では願いが叶うことは多くない。現実との折り合いをつけられず、無差別殺人・暴力などで自分を主張しようとする若者が今現在もいる。あなたはルネサンス佐世保散弾銃乱射事件やこうした一連の事件傾向に何を思うだろうか?

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※西口彰事件
1963年から始まった殺人事件。強盗殺人、詐欺などで全国指名手配されながらも翌年まで逃亡生活を続けた。その間、弁護士・大学教授と偽って転々としていた。弁護士と偽ってある一家に居候していたが、その家族の娘に「指名手配ポスターの男に似ている」と正体を見破られて逮捕された。
裁判では「悪魔の申し子」だとして死刑判決が言い渡された。この事件は今村昌平監督により映画化され、「復讐するは我にあり」(主演:緒形拳)は名作として知られている。
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