たまには「いやな話・死刑」 | NewsCafe

たまには「いやな話・死刑」

社会 ニュース
戦後の日本の教育の基本は「民主主義の確立」であり、その根底にあるのが「権利と義務の概念」である。そして権利と義務の裏側が「罪と罰」であり、最高の罰が「自らの死をもって罪を補う」と言う死刑である。法律では「死刑囚に対する刑の執行は法務大臣の命令によらなければならない。法律上、特別な理由のない限り、死刑判決が確定してから6か月以内に死刑が執行されなければならない」と規定されているが、様々な理由でこれが形骸化し、現在130余名の「未決死刑囚(男女比等はプライバシー保護のため不明)」がおり、事実上この規定は「努力目標化」しているのである。死刑判決が確定したものは「死刑が実行されない人=未決囚」となり、刑務所で労働などに従事して罪を償うのではなく「拘置所でただ死刑の日を待つ」と言う暮らしを送ることになる。

最近6年余りの死刑実行の件数を見ると「平成18年~20年の自民党政権時代は4人の法相で死刑35人・平成21年~平成24年の民主党政権時代は9人の法相で死刑は9人・24年9月以降はゼロ」で民主党政権が死刑の実行に躊躇していたことがわかるのである。先ごろ安倍政権になって始めての「死刑囚3人」の死刑が行われた。いずれも「最終的に自分から死刑を選択した者」と言う特徴はあるが…。谷垣法相は『刑事訴訟法には判決確定から6ヶ月以内に刑を執行すると言う規定がある。法の精神を無視する訳には行かない』と語った。「法務大臣の最大の仕事・義務は死刑執行に署名すること」と言う意と解釈できるのである。

最近では「法相としての義務を放棄する人」も多く、その結果が「未執行の確定死刑囚の人数は130余人」となのである。世界的には「死刑廃止」の流れがあり、死刑制度がある日本に批判が向くこともある。谷垣法相の「死刑は内政上の課題。治安維持・国民感情・被害者感情を考えるべきである。現時点で死刑制度を見直す必要は感じていない」と言う発言は当を得たものと思うのである。3年前に「国民の感覚を裁判に…」と言う趣旨で「裁判員裁判制度」が第一審に導入された。「判決は重くなるのかVs軽くなるのか」と関心がもたれたが、意外?な程に判決は穏当で「無期懲役」が多く「死刑判決の激増」とはならなかったのである。ある意味だ「民意は穏当」と言うことである。しかし「死刑の判決」も散見されるのである。普通の国民が「死刑判決を下すこと」は勇気がいると思うのである。

識者は『裁判員裁判での一審の判決は極力尊重されるべきである。死刑判決に関しても同様であり、判決確定後は速やかな死刑の執行が望ましい』と言う。一時は「死刑廃止論」が盛り上がったが、あまりにも理不尽な犯罪の続発で「死刑廃止論儀」は下火となり、4年前の内閣府の世論調査では『死刑の存続:86%・廃止:6%』であり、多くの国民が「罰としての死刑の存続を望んでいる」事がわかるのである。「死刑が最高の善」とは思わないが「罪にはそれにふさわしい罰」と思いのである。

[気になる記事から時代のキーワードを読む/ライター 井上信一郎]
《NewsCafeコラム》
page top