子どもの犠牲が少なかった釜石市~保育園の対応~ | NewsCafe

子どもの犠牲が少なかった釜石市~保育園の対応~

社会 ニュース

先週から「週刊女性」(主婦と生活社)で、「終わらない3.11」という連載を始めています。
甚大な被害をもたらした昨年の東日本大震災。地震や津波それ自体は「自然災害」であり、どうしても避けることができない被害もあります。

しかし、一方で、「人災」という面があります。この連載はおもに「人災」に焦点をあて、まだ、「3.11」が継続している被災者の声を中心に取り上げています。

連載は3月11日までに5回分。これまでに2回掲載されています。1回目が、全校児童108人中74人が死亡、または行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校の遺族の話を取り上げています。2回目は東京電力・福島第一原発事故による警戒区域に置き去りにされたペットの飼い主の話が中心。まだ手作りの会だけに、人集めの方法も手探り状態なのです。連載執筆ということもあり、これまでの取材と、追加取材で連日東北取材をしています。

今コラムでは、連載では取り上げられなかった保育園の話をしようと思います。私が震災取材をしていて、関心を寄せたことのひとつは、保育園の動きです。多くの地域で、保育園の避難は、小中学生よりも早い感じを受けていました。保育園の関係者に話を聞くと、その判断の早さに驚きますが、理由を聞くと納得します。

釜石保育園では、毎月、津波を含めた避難訓練をしていました。ただ、3月11日の地震では当初、津波の心配はしていなかったといいます。むしろ、保育園の園舎が崩れるのではないかと思っていたと聞きました。

「訓練のたびに、本当に津波がきたらどうするのか?」
という話し合いは職員の間ではしていました。しかし、津波がくることの現実感は最初のころはなかったのです。前々日も津波注意報がありましたが、2階に避難するのをしただけでした。

当日も2階に避難したのですが、周囲の緊張感が違っていました。市街地にあるために、近所には会社がたくさんあります。避難が決まったときに、その人たちが、赤ちゃんたちを抱えて、高台に向かって行ったのです。

「津波が3mとの警報があったんですが、緊張からか、10mと聞こえたんです。それで慌てました」(釜石保育園長)

釜石保育園の正面には高台があります。あとで入手した映像を見ると、15時5分には高台に至る階段の中腹にいたといいます。高台に登りきる途中で津波が来たというのです。

釜石保育園の場合、高台が近かった地理的な要因もあります。しかし、避難にあたっては早い判断をしているのは各保育園で共通しているのです。

「私たちは、子どもの命を預かっています。毎日がその繰り返しなのです。朝子どもさんを預かって、帰りにはそのまま返す。それが仕事なのです。それに、子どもたちはいろんなことが自分たちではできない。私たちが守らないといけないんです」(釜石保育園長)

これは別の保育園でも同じことが言えます。

同じ釜石市内の鵜住居保育園でも、高台への避難がいつもの避難訓練では「12分40秒」かかるのですが、当日は「10分前後」だったといいます。鵜住居保育園の場合は、小中学生が同じ避難ルートだったこともあり、避難の際、手助けしてくれていたことも、迅速な避難ができた要因の一つでした。

「どこに行くにしても、今災害があったら、と考えています。地震と津波はセットです。危ないと思ったら最大限のことをしないといけない」(鵜住居保育園長)

しかし、鵜住居保育園では、当日休んでいた園児と、親に引き渡した園児の2人が亡くなりました。子どもの犠牲が少なかった釜石市。しかしながら、犠牲となった子どもたちもいることを忘れてはならないと思います。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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