26歳で「早発閉経」と診断。アラフォーになったキャスター・千種ゆり子が振り返る「努力では超えられなかった壁」 | NewsCafe

26歳で「早発閉経」と診断。アラフォーになったキャスター・千種ゆり子が振り返る「努力では超えられなかった壁」

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
26歳で「早発閉経」と診断。アラフォーになったキャスター・千種ゆり子が振り返る「努力では超えられなかった壁」

気象予報士、キャスターとして『THE TIME,』(TBS系)や『スーパーJチャンネル(土日)』(テレビ朝日系)などで活躍してきた千種ゆり子さん(37)は、26歳のときに難治性の不妊症である「早発閉経」と診断されました。

思いがけない病気と向き合った経験から、「女性が自分の身体に関心を持つ」ことの重要性を伝える活動を開始。彼女が野本梢監督と稲村久美子エグゼクティブプロデューサーと共に制作した映画『藍反射』(らんはんしゃ)は、第38回東京国際映画祭ウィメンズ・エンパワーメント部門に公式出品作品として選出され、2026年3月6日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開となります。

今回は千種さんに、病気と向き合った経験や、映画に込めたメッセージについてお話を伺いました。

体育会系空手少女が気象予報士・防災士になったきっかけは「幼少期に経験した阪神・淡路大震災」

――早発閉経と診断されるまでのご経歴について伺ってもよろしいでしょうか。気象予報士、防災士の資格をお持ちとのことですが、難関資格に挑戦し、キャスターとしてのお仕事を始めるきっかけを教えてください。

私は幼少期に神戸市に住んでいて、小学校の頃に阪神・淡路大震災を経験しました。そんな原体験がある中で、社会人1年目に東日本大震災が起こり、あらためて災害の恐ろしさを思い知らされました。

震災の情報に触れる中で、「これから自分がするべきことは何だろう」と考えるようになり、「防災の勉強をして、それを伝える道に進みたい」という気持ちが強くなりました。また、「地震は予測できないけれど、天気は予報できる。正しい情報が伝わることで、災害を未然に防げるかもしれない」そんな思いから、気候や自然と向き合う仕事を志しました。

――気象予報士試験は難易度が非常に高いことでも知られていますが、お仕事をしながら合格されたのですか?

はい。2年ほどかけて、休日や終業後に勉強しました。もともと私は大学時代に空手に熱中していた体育会系で、10代の頃は「何ごとも努力すれば乗り越えられる」と思っていました。

それだけに、早発閉経と診断され、「身体のことは思うようにコントロールできない」と実感したときのショックは大きなものでした。

無意識のうちに「いつか家庭を持って子どもを産む」と思っていた20代を襲った「謎の体調不良」

――20代当時のお仕事や将来設計について教えてください。結婚や出産についてはどのように考えていらっしゃいましたか?

子ども時代は、「父が働き、母が専業主婦で、子どもがいる」という比較的伝統的な家庭環境で育ちました。人生の初期に接した最も身近な女性像が「子どもを育てている母」だったので、「自分もいつか家庭を持って子どもを産むんだ」と無意識のうちに思っていました。

一方で、女性の社会進出が進む時代でもあり、「子どもを育てる」「働く」という両輪で活躍する未来があるはずだ、努力すれば実現できるはずだ、と漠然と考えていました。

――そんな将来像を描いていた中で、婦人科を受診したきっかけは何かあったのでしょうか?

24歳から婦人科には通っていましたが、青森で気象キャスターの仕事に就いていた26歳の頃、ホットフラッシュを経験しました。しかしまだ年齢も若く、ストレスや自律神経の乱れなどさまざまな原因が考えられ、主治医も原因を特定できませんでした。

半年ほど「何かがおかしい」と思い続け、病院を変えることにしました。青森県内の不妊治療専門の病院でAMH検査を受け、「閉経している」と分かりました。26歳から27歳になる年でした。

長く原因不明の不調に戸惑っていたこともあり、驚きとともに「ああ、あの汗は早発閉経によるホットフラッシュだったんだ」と腑に落ちる感覚もありましたが、自分の子供が産めないかもしれないことはショックでした。

青森での診断から東京へ。専門的な治療へとつないでくれた医師との出会い

――その頃は青森に住んでいらっしゃったと伺いましたが、本格的な治療に入ったのは東京に戻ってからですか?

そうですね。早発閉経の診断を受けたのは、新卒で入社した会社を退職し、気象予報士の資格を生かして青森で一人暮らしをしながら仕事を始めた頃でした。

急に大量の汗が吹き出すなど身体に異変を覚え、最初は家の近くの婦人科を受診しました。そこで原因が分からず、不妊治療専門のクリニックを受診して早発閉経が発覚しました。

当時かかっていたクリニックでは早発閉経の人に対する不妊治療の経験・知見が少ないとのことで、神奈川県の聖マリアンナ医科大学を受診するよう勧められました。ただ、青森での仕事があったため、1年間は本格的な不妊治療を行わずに過ごしていました。

――その後、映画『藍反射』のも制作協力として関わっている「ローズレディースクリニック」を受診されるまでの経緯について教えてください。

東京のテレビ局で新たなキャリアをスタートした頃、まずは聖マリアンナ医科大学を受診しました。聖マリアンナ医科大学のある先生が、ローズレディースクリニック(https://roseladiesclinic.jp/)でも外来を担当されていました。自宅からも通いやすい専門施設ということで、紹介していただいたのです。ローズレディースクリニックに転院したのは、29歳の時でした。

本記事では、千種ゆり子さんに「早発閉経」と診断に至るまでの経緯さと専門的な医療へとつながっていく背景をお聞きしました。つづく関連記事では、診断後の最先端治療の経験についてお話しいただきます。

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《OTONA SALONE》

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