【モデルプレス=2025/10/07】フジテレビ系ドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」(毎週水曜22時~)の脚本を務める三谷幸喜氏(みたに・こうき/64)にモデルプレスらがインタビュー。前編では、25年ぶりに民放GP帯連続ドラマの脚本を務めるまでの経緯や、本作の着想について明かした。【写真】「もしがく」菅田将暉・二階堂ふみ・神木隆之介、渋谷にゲリラ登場◆菅田将暉主演「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」本作は、1984年の渋谷を舞台にした青春群像劇。経済の安定成長期からバブル経済期への移行期にあたる希望に満ちた時代の中、まだ何者でもない若者たちの苦悩や挫折を描く。三谷氏は本作で25年ぶりに民放GP帯の連続ドラマ脚本を務め、自身の青春時代の思い出が題材になっていることでも話題を呼んでいる。◆三谷幸喜氏、“民放GP帯連ドラ”脚本手掛けたきっかけとは― 情報解禁後からすでに大きな反響を呼んでいますが、率直な今のお気持ちをお聞かせください。三谷氏:久しぶりの連続ドラマ脚本ではありますが、今の自分が書けるものを精一杯書いたつもりです。たくさんの方々に見ていただけたら嬉しいです。― 本作は80年代の渋谷を舞台に描かれており、三谷さんの青春時代の思い出が題材になっているそうですが、今作の脚本を手がけることになったきっかけを改めてお聞かせください。僕が昔、渋谷のストリップ劇場でバイトしていたときの体験を元に物語を紡ぎました。25年間民放の連続ドラマをやらなかった理由も、今回やることになった理由も、特別な何かがあったわけではありません。NHKの大河ドラマやスペシャルドラマを書かせていただいて、徐々に連続ドラマから離れていって、気が付いたら25年も経っていたという感じなんです。僕は常に門を開けていましたが、今回、フジテレビのプロデューサーである金城綾香さんが話を持ってきてくださったので、「ぜひやりましょう」という形になりました。何をやるかと考えた時、現代の令和の世界で生きる人々の生々しい生態や会話を僕が書くのは少し違うかな、という感覚があって。そこで、自分に一番ふさわしい題材は何かと考え、「歴史劇としての1980年代」であれば僕にしか書けないのでは?と思って、この物語が始まりました。― 25年ぶりに連続ドラマの現場に戻ってきて感じた変化はありましたか?三谷氏:撮影が始まって何回か現場を見学に行ったのですが、テレビ局の雰囲気が昔とは全然違っていて驚きました。昔は学園祭に飛び込んだみたいに賑やかだったのですが、今はとても静かです。例えば、他のドラマの出演者やプロデューサーさんたちが遊びに来ることも少なくなり、ちょっと寂しさを感じました。◆三谷幸喜氏、物語は「シェイクスピア」をイメージ― 今回、三谷さんの青年時代をモチーフとした人物として、神木隆之介さん演じる蓬莱省吾が描かれていますが、菅田さん演じる主人公・久部三成をモチーフとした人物はいらっしゃるのでしょうか?三谷氏:1984年、僕は劇団を作って色々な演出家や俳優を観ていた時期で、久部には早稲田大学演劇部のOBのようなイメージがあります。ただ、キャラクター設定に関してはウィリアム・シェイクスピアを意識しています。本作は彼らがシェイクスピアを上演する話ですが、キャラクターそれぞれにもシェイクスピアのいろんなモチーフを背負った設定にしています。久部は、最初はハムレットとして登場し、途中からリチャード3世となり、最後はマクベスとなる。いろんな登場人物を背負っているイメージです。― なぜ、シェイクスピアを題材にしようと思ったのでしょうか?三谷氏:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK/2022)をやった時に「ゴッドファーザー」「仁義なき戦い」「アラビアのロレンス」など、僕が今まで観てきて面白かったなと思った物語のエッセンスをなるべく詰め込もうとしていて、その中で、シェイクスピアのイギリスの歴史を基にした物語が1一番参考になりました。シェイクスピアの描く世界観と、鎌倉時代初期の世界観がすごく合致していたんです。その時思ったのは、シェイクスピアはやっぱりすごいなと。今、僕らが観たり作ったりしたてきた物語の大半の種はシェイクスピアが蒔いていたんだなという感じがすごくしました。そこからシェイクスピアにきちんと向き合って、彼が本当にやろうとしていたことをそのままやるのではなく、現代に置き換えてみたらどんな物語ができるのだろうか、という発想から取り入れました。ただ、基本的に僕の中でのイメージです。登場人物の名前も含めて、全体的にシェイクスピアの要素は残っています。― 「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」という長いタイトルも印象的ですが、このタイトルに込めた思いを教えてください。三谷氏:元になったのはシェイクスピアのセリフではあるのですが、僕がドラマをやるにあたって、ほかの方々が作られているものとの差別化が何か欲しいなと思って、ちょっと長めのタイトルにしました。ずっと物語が進んでいくと、ある登場人物がこの言葉を発し、そこでタイトルの伏線が回収されます。誰がこのタイトルを口にするかはまだ言えないのですが、そこに向かって物語が集約していくイメージですね。◆三谷幸喜氏、“八分坂のオープンセット”から当時を想起「貴重な体験でした」― 80年代当時のご自身の経験や、本作に描かれていることが今の自分に生きている部分はありますか?三谷氏:傍から見ると“下積み”というイメージかもしれませんが、全然そんなことはないですし、むしろその当時からテレビの仕事や劇団もやっていたので、自分の立ち位置は変わっていないです。厳密に言うと、あの当時僕はドラマではなく、バラエティ番組やラジオをやっていましたが、僕はストーリーのあるものを書きたいと思っていたし、いつかドラマをやってみたいなと思っていました。当時との環境は違いますが、根っこの方は全然変わっていない気がします。― 本作を描く中で、当時の自分を思い出したことや、原点を思い出す瞬間はありましたか?三谷氏:八分坂のオープンセットを見に行った時に僕のほぼ想像通りに作られていて、足を踏み入れた途端に当時のことを思い出しました。僕はあの頃この通りに立っていて、控え室があったアパートから階段を降りて、通りを横切って劇場に行って、そこで自分が書いたコントを見る、その絵が当時も面白いなと思っていて。これっていつになるかわからないけれど「いつかここの、この話をやりたいんだ」と歩きながら思ったのをはっきりと覚えています。それはとても貴重な体験でした。★後編では、脚本制作段階での秘話や、菅田将暉ほかメインキャストとのエピソードについて語っている。(modelpress編集部)◆三谷幸喜氏(みたに・こうき)プロフィール1961年生まれ、東京都出身。脚本家。1983年に劇団「東京サンシャインボーイズ」を主宰結成し、1994年の活動休止後は「古畑任三郎」(1994年/フジテレビ)、「王様のレストラン」(1995年/フジテレビ)など数々のヒットドラマを手がけ、人気脚本家としての地位を確立。近年の主な脚本作品は、NHK大河ドラマ「新選組!」(2004年)、「真田丸」(2016年)、「鎌倉殿の13人」、映画「記憶にございません!」(2019年)、「スオミの話をしよう」(2024年)など。【Not Sponsored 記事】