オトナサローネ世代にとっては「美の神様」でもある、藤原美智子さん。2022年に突如ヘア&メイクアップ アーティストを引退し、経営していたマネジメント事務所もクローズ。現在は東京と下田の二拠点生活を楽しみながら、充実した日々を過ごしています。
2025年5月に発売された最新の著書『何歳からでも輝ける秘訣』(主婦の友社)では、現在67歳である藤原さんのライフスタイルや考えていることがあますことなく綴られています。
多忙を極めていたトップヘア&メイクアップアーティスト時代のエピソードから、40代で生活をガラリと変えたきっかけまで、藤原さんが節目節目で選んできたモノ・ことをうかがいました。
多忙を極めていた40代。42歳から始めたストレッチがボロボロの体を救ってくれた
―――藤原さんの40〜50代は、トップアーティストとして毎日とても忙しく過ごされていたと思います。実際はどのような生活を送っていましたか?
40代は、とにかく働きました、飲みました、夜遊びしました、海外にもたくさん行きました。これがすべてです(笑)。
これは冗談ではなく、30代から40代にかけて仕事も私生活もMAX状態だったと思います。仕事は1日も休みがなかったし、仕事終わりにみんなとわいわい飲むのも好きでした。今はもうお酒はやめていますが。
―――パワフルですね(笑)。体に不調を感じることはなかったんですか?
ありましたよ。40代前半で体のあちこちに不調が出始めました。
ヘア&メイクアップアーティストという仕事は、いつも体をモデルさんの方向にねじって、さらに体を曲げて、横から覗き込むような姿勢でメイクするんですね。そんな不自然な姿勢を長時間してきた結果、体の片側が伸び反対側が縮んでしまい、左右のバランスが崩れてしまいました。体のバランスが悪くなったことで、顔のバランスも崩れて……。片側だけ引き攣った状態になっていました。
職業病とはいえ、「このまま放置するのはまずいんじゃないか」と不安になり、それから週に1回マッサージに通うようにしたんです。
―――マッサージで多少は改善されましたか?
1年ほど通った結果、悪化はしなくなりました。でもその時また考えたんです。「マッサージに行くとマイナスがゼロにはなるけれど、プラスしていくにはどうしたらいいんだろう」。そこで「ストレッチを始めてみよう」と思い立って、毎日してみることにしました。
そもそも私はすごく体が硬くて、ストレッチをしたこともありませんでした。そんな状態でストレッチをしようと思い立ったものの、何からすればいいかもわからなくて、とりあえず開脚から始めてみることに。家にいる間、テレビを見ている時などずっと床に座り両脚を開いて上半身を前に倒して。それを毎日3時間もしていました。
すると初日は45度ぐらいしか開かなかった脚が少しだけ開くようになり、手も1ミリ前につけるようになっていくんですよね。昨日より少しでも前に進んでいることがうれしくて、せっせと続けていました。
当然今日はやりたくないな、と思う日もありましたが、休んでしまうとせっかく1ミリ柔らかくなったのに、元に戻ってしまうのではないかと思って。その不安を原動力に続けていましたね。
―――小さい変化でも目に見えるとうれしいものですよね。
そうなんです。そうやって少しずつ体が柔らかくなっていくと、今度は肌に変化が出てきました。どんな高級クリームを使ってもカサカサだった乾燥肌が、おさまってきたんです。
それもストレッチのおかげ。ストレッチで筋肉が柔らかくなり、筋肉が柔らかくなったことで全身の血流が良くなった。その結果、肌の調子も良くなったんです。
裏を返せば、いくらいい化粧品を使っても体がボロボロだと効果は出ない、ということです。この経験から、「顔は顔だけにあらず」という私の持論が生まれました。
46歳で朝型生活にチェンジ、48歳で食事を見直し
―――疲れや不調を無視できなくなる40代。藤原さんも生活を少しずつ変えていったそうですね。
42歳でストレッチを始め、48歳で食事の改善を始めました。きっかけは、ポストに入っていた無農薬野菜の配達のチラシ。それを試しに申し込んでみたんです。
そして初めて、野菜そのものが持つおいしさに目覚めたんです。
それまでも無農薬野菜を使ったレストランなどには行っていたんですよ。でもそこで私がおいしいと思っていたのは野菜本来の味ではなく、調理されたお料理のことだった。
無農薬野菜のおいしさに目覚めてからは、マクロビオティックに凝ったり、シンプルな素材の味を活かした料理に凝ったりしました。私、やり始めると凝っちゃうんです(笑)。鶏を一羽買ってきて、スープを作ったりもしていましたね。
そのころは「レストランでおいしい料理が食べたい」というよりも、素材そのものに興味が向くようになっていました。野菜は無農薬、魚は養殖よりも天然。畑を借りて家庭菜園もするようになり、料理の本も出版したんですよ。
―――夜型生活から朝型に変えたのもこの頃ですか?
朝型に変えたのは46歳です。その頃も変わらずヘア&メイクの仕事は忙しく、原稿などの仕事も常に抱えている状態。撮影で深夜に帰ってきたら、コートも脱がずにパソコンに向かって執筆する日々でした。
そうやって明け方まで原稿を書くんですが、自分の書いた文章を翌日に読み返したら、全然使い物にならない(笑)。それはそうですよね、疲れて頭が回っていないんですから。それで結局翌朝に全部書き直すという二度手間。
そんなことを繰り返しているうちに「いっそ朝書いたほうが効率的なのでは」と思ったんです。
―――でも夜早く寝ると、藤原さんの好きだった夜遊びができなくなってしまいます。
そうなんです(笑)! それはすごく葛藤がありました。「みんなと飲みに行けなくなるのは寂しいな」って。それに早起きするのも自信がなかったですしね。
それでも、無理せず少しずつ朝型に変えていきました。
まずは就寝を30分早めて起きる時間も30分早める。始めた当初はそれすら大変でした。ベッドに入ってもなかなか寝付けないし、翌朝起きるのも辛い。ただそれを1週間続けると、不思議なもので体が適応していくんですよね。
そうやって体が慣れたら、また就寝と起床の時間を30分ずつ早める。そうやってあせらずゆっくり体を慣らしていったおかげで、朝型生活に切り替えることができました。
40代前半で体を変えて、後半で生活を変える。その順番がよかったんだと思う
―――ストレッチから始まり、食事やライフスタイルの改善。40代全部を使って、ゆっくりと自分自身を変化させていっています。
40代で生活全般を見直したのは、どれも自然な流れでした。今思えば、無意識に最適解を引き寄せていたのかもしれません。
最初に体を元気にしたのが良かったのかもしれませんね。食事の改善も朝型生活も気力と体力がいること。疲れが溜まっていては、何もする気にならないでしょ? 何をするにも元気であるからこそ、ですものね。
そして50歳で結婚したのですが、これが生活激変の決定打となりました(笑)。
ここまでの記事では藤原さんが「生活を変えるまで」を伺いました。後編では、藤原さんに聞いた「オトナサローネ世代のメイクの正解とは」を公開。若い頃のメイクのままではダメな理由を伺います。
つづき>>>藤原美智子さんが貫いた「自分らしさ」の正体「流れに身をゆだねながら、自分の行きたい方向に移動する」を詳しく聞くと
『何歳からでも輝ける秘訣』藤原美智子・著 1,870円(10%税込)/主婦の友社
藤原美智子(ふじわら・みちこ)
ビューティ・ライフスタイルデザイナー。多くの雑誌や広告撮影のメイクアップアーティストとして活躍後、2022年に引退。現在は、執筆、化粧品関連のアドバイザー、講演、テレビ出演などで幅広く活躍。食や健康、ファッション、ライフスタイル、内面の磨き方などを提案している。2025年5月「何歳からでも輝ける秘訣」(主婦の友社)を発売。