さて、後藤さんが殺害される前後から、「I am kenji」(私はケンジ)と書かれた紙を掲げて、Facebookなどで後藤さんへの連帯を示す行為が多く見られました。首相官邸前でもそうした動きがありました。風刺画を掲載している、フランスの週刊新聞「シャルリー」が襲撃を受けた際、「Je suis Charlie」(私はシャルリー)と書かれた紙を掲げた流れを受けたものでしょう。
「I am kenji.」を掲げるのは後藤さんの命の重さを示すものです。また、難民の子どもたちや、戦場での人々の生活を伝えてきた後藤さんの取材に関して共感を示すものでもあっただろうと思います。後藤さんを知っている関係者だけでなく、拘束された映像が流れてから後藤さんを知った人たちにも広がっていきました。恥ずかしながら、私も後藤さんのことを一連の報道で知りました。
「I am Haruna.」。そんな中で、こうつぶやく人もたちも現れました。同じように、後藤さんの命も大切だし、湯川さんの命も同時に大切。そんな意味が含まれているものでした。また、ムアズ氏が殺害されたことで、「I am Moaz.」というつぶやきも多少は見られますが、日本語のつぶやきはまだ少ないようです。後藤さんには同情的な報道はされましたが、他の2人には同じような報道がほとんどなかったので、仕方がない面もあるでしょう。