「もらえるもんは、もろうとけばええんや」。
生活保護の不正受給をめぐって某芸人が発言したというこの言葉が世間の人々を激怒させた頃とほぼ同時期に、とある母娘が生活保護の受給を辞退していた。
「このままずっと働きもせず、お金をもらうのが心苦しい」。ハローワークに通っても仕事が見つからない焦りと自己嫌悪、生活保護を受給しているという自分の中での「恥」の気持ちでいっぱいだった娘のKは「生活保護なんて、やっぱり世間に顔向けできない」というある種の罪悪感にさいなまれ、受給を辞退・生活の更なる困窮を招いてしまった。今までひっそり貯めてきた貯金も底をついた頃、床に伏せる母(当時70歳)からこう言われたという。
「おしまいにしよう」
この時のKの母の顔はどのような表情だっただろう。苦しみに満ちた表情だったのか。それとも貧困と世間に対する恥から解放される安心感でほっとした顔だったかもしれない。
この母の言葉を受け、Kは練炭自殺を決意した。部屋中に一酸化炭素が充満する中で母は死亡し、Kだけは「命拾い」してしまった。結果、Kは母親への承諾殺人で逮捕・起訴された。
こういった生活保護・貧困にまつわる子供殺し・親殺しは我々の想像以上に多発している。
無職のYは認知症の母親(当時86歳)を抱えていた。無職になった理由はもちろん母親の介護のためだ。
「職場に迷惑をかけたくない」
この「申し訳なさ」で退職したのだった。夜中に徘徊する母親を介護していたYも体力的に限界だったのかもしれない。しかし次に経済的限界が襲ってくることは予想したであろうか。
「生活保護を受けたいのですが・・・」
「え?あなた失業保険を受給してるでしょ?だったら無理ですよ」
最期の手段に、と思っていた生活保護の受給は拒否された。そして同時に生きる気力・希望もなくしてしまったのだ。
Yは人生最後の旅行として母親と一緒に京都を観光したという。そして母親にこう言って心中を提案した。
「ここでおわりやで」
「そうか、あかんか」
Yは母親の首を絞めて殺害後、Y自身も首を切って自殺を図ったが失敗に終わった。
生活保護へのバッシングの嵐が吹き荒れる中、本当に生活保護で救うべき人々が救われない状況がある。
既出の某芸人から始まったバッシングの中にある怒りの真意、それは「正義」だ。
「なぜ救うべき人に生活保護が行き渡らないのか」という至極真っ当な感情だ。しかし、そのバッシングが生活保護の必要な生活困窮者に「生活保護は恥」という気持ちを抱かせてしまう可能性があることを自覚している人はどれだけいるだろうか。この「恥」の意識は日本人の美徳と捉えることもできるだろうが、後々、餓死や自殺・殺害、強盗等といった残念な結果となってあらわれることも多い。
世論の怒りが暴走すると、問題の本質が見えにくくなることがある。先に挙げた両事件ともまず、生活保護の制度、行政の役割・責任の確認が必要になる。長引く不況、広がる格差の中で労働を伴わずに何かを享受することへの国民の憎しみ・怒りは増大するばかりだが、こうした現象を抑えつつ冷静に議論を行わない限り、貧困・生活保護に関係する諸問題の解決は難しい。
このような状況をよそに、とうとう今年7月には生活保護受給者が過去最高を記録した。先進国であるこの国でなぜ、これほどの受給者が発生するのか。貧困・生活保護にまつわる悲しい事件に対し、あなたは何を思うだろうか?
NewsCafeでは犯罪分析コラム「NewsCafeユーザーによる事件アナリシス」を連載しています。皆様のご意見をもとにした内容となりますので、コメントポストにてコメントを募集します。
皆様からのご意見、お待ちしております。
※二件目の事件について、裁判ではYの壮絶な介護・貧困疲れの様子が明らかになった。
検察側の求刑は懲役3年。下った判決は執行猶予3年となった。
「介護の苦しみや絶望感は言葉では言い尽くせない」「命の尊さへの理解が欠けていたとは言えない」という温情判決だったが、他方で福祉制度や行政のあり方に疑念を呈していたという。
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