大川小検証委 調査ペースが遅くいら立つ遺族 | NewsCafe

大川小検証委 調査ペースが遅くいら立つ遺族

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宮城県石巻市の大川小学校では、東日本大震災により発生した大津波で児童・教職員84人が死亡または行方不明となった。危機意識や避難行動、事後対応などについて調査する第三者委員会「大川小学校事故検証委員会」が7日、「中間とりまとめ案」を審議した。同日の議論で出た意見をもとに修正した上で、18日に「中間とりまとめ」が発表される。

この中で、1999年から2010年度までに大川小学校に在籍した経験のある教職員を対象にしたアンケート(対象38人、回収20件、震災時勤務し生存した校長と教員の2人を除く)によると、津波を想定した避難訓練をしていたと回答したのは1人だった。同校の沿革史によると、95年から10年までの間で、津波想定の避難訓練をしていない。危機管理マニュアルには「津波」の言葉があるものの、具体的な避難先の想定がない。避難に関しては「杜撰だった」と調査委員は評価したが、「杜撰だったのは大川小だけではない」とも言い、なぜ、大川小だけがこれだけの被害が出たのかは明確にはならなかった。

他の論点では「津波の到着時間」がこれまで「15時37分」としていたが、北上川の水位計や無線交信記録、目撃証言を考慮すると、「15時30分~32分頃(もしくはそれより数分前)」と推定した。5~7分早いことになる。この点について会見で、「35分前後に学校の近くを通ったという証言がある」との問いに、「私たちは、なぜその時間と思ったのかまでを聞いている。証言で35分とあったとしても、なぜ35分と思ったまで踏み込んでいる」と回答した。

東日本大震災から2年4ヶ月が経った。すでに、事実を解明したいという遺族のグループは独自に調査を行って来た。その内容からすれば、水位計の記録やその日の天候等の客観データが分かった点は評価できるものの、「あの日、大川小学校で何が起きたのか?」「なぜ、大川小学校だけ被害が大きかったのか?」などの答えが出るには至っていない。そのため、傍聴していた遺族はいらだちを隠せない。

遺族の一人、佐藤敏郎さんは「私としては、もう次の段階にいき、突っ込んだことについて話してほしかったと思う。学校でたくさんの子どもの命が失われたという事故の大事な話し合いならば、議論を闘わせる場面があってもよかった」と話してた。

事実を解明してほしいと積極的に考えてきた遺族からすれば、今回の「中間とりまとめ案」では、当日の職員集団の動きや意思決定について、まったくわからないことのいらだちがある。この問題を取材している私を含む記者たちから見ても新しい事実はほぼない。そのため、遺族もメディアも気負いを感じる。記憶が薄れていくのではないかとの心配もあったりする。もっとペースをあげて聞き取りをしてほしいとの要望があったりする。

委員の一人で、弁護士でもあり、鉄道安全推進会議の事務局長で、JRに資本の福知山線脱線事故の事故調査委員会にかかわった佐藤健宗さんは「基本的には、検証委員のメンバーは熱い思いを持っているし、被害者に寄り添おうという原点は持っています。その原点を持っているから、信頼してほしいです」と話していた。
《NewsCafeコラム》
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