津波被災地で「大槌みらい新聞」創刊 | NewsCafe

津波被災地で「大槌みらい新聞」創刊

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東日本大震災でメディアの役割を考えるとき、ネットユーザーの多くはソーシャルメディアを思い浮かべるのではないでしょうか。私のその1人でした。そのため、震災当初の被災地取材では、地震や津波のとき、または原発事故のとき、どのようにSNSやTwitterを利用したのかを聞いて回りました。しかし携帯電話が通じない環境の中で、ソーシャルメディアを有効利用している人はほとんどいませんでした。

もちろん、ソーシャルメディアはある層のコミュニケーションや情報伝達を活発化させました。しかし、情報発信・受信力のある人とそうではない人の格差を生み出します。そうした溝を埋めるには被災地の地元メディアは有用性があります。東北地方の最大大手の河北新報は今でも被災地情報が満載です。ただ、東北地方は広大な面積で、内陸部を拠点とするメディアは、やや心理的距離があるのです。

震災前から、被災地である東北の沿岸部には、よりローカルな新聞がありました。手書き新聞で知られた「石巻日日新聞」(宮城県石巻市)はその一つでした。一方、岩手県釜石市には、釜石市、大槌町、山田町、宮古市を発行エリアとしていた「岩手東海新聞」がありました。この地域では、99年に休刊しましたが、河北新報の関連会社・三陸河北新報社が「釜石新報」を発行していたことあり、ローカル情報を欲する地域と言えるでしょう。

しかし、「岩手東海」は津波で社屋が浸水。記者も二人がなくなりました。「復興釜石新聞」として再開しましたが、発行エリアは釜石市内だけになりました。また、震災後、釜石市を中心とした情報誌「Re-born」も発行されました。私も協力していましたが、現在は休刊しています。宮古市は人口規模も大きいため、全国紙や地方紙に掲載される率が高いですが、大槌、山田の両町は人口規模も少なく、細かな情報が伝わりません。JR山田線の宮古ー釜石間が復旧せず、交通手段もままならないのも一因かもしれません。

こうした中で、「大槌みらい新聞」が創刊しました。地域の人たちは情報を「紙」で得ている人が多いため、ソーシャルメディアを活用するものの、「紙」の発行にもこだわっています。日刊ではないため、極め細かな情報の提供はできません。しかし、「メディアを持つ」ことは地域の情報発信力を高めます。また地域メディアがあることで安心感や活力を生み出します。

メディアとして機能するには取材記者が必要です。このプロジェクトのために、元茨城新聞記者の松本裕樹さんが大槌町の拠点「News Lab・おおつち」に常駐しています。大学生もインターンとして記者活動を続けています。町民の中からもリポーターを募集しています。紙の発行には、印刷代などの費用がかかりますが、その資金をインターネットで集めています。「READY FOR?」というサイトを利用しています。プロジェクトに賛同した人が、ネット上で寄付をする仕組みです。

私はかつて、長野県のローカル紙で記者をしていました。私が働いていた木曽支局は、エリアが大阪府とほぼ同じ面積でしたが、人口は4万前後しかいませんでした。そのため、全国紙の支局や通信局はありません。しかし地域メディアがあることで、情報発信力をつけたり、見逃されがちなニュースが取り上げられることで自信を得ていたようにも見えました。

大槌町は被災地の中でも、震災後の人口流出が激しいところです。震災前は四つの小学校がありましたが、来年4月には統合して一つの学校になります。それだけ、子どもたちが町に残っていないのです。学校は地域に人が残る理由のひとつです。このままだと、大槌町にどのくらいの人が残るのかさえわかりません。被災地は忘れられる不安があります。大槌町は地域性があふれた町です。そんな地域にメディアがあることが不可欠な要素でしょう。

大槌みらい新聞は約5000部発行。大槌町内に無料配布した。また、紙面に反映できない記事などをサイト(http://otsuchinews.net)で発表しています。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材
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