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広島、長崎、そして福島を忘れないために

社会 ニュース
広島市で8月6日、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)がありました。
平和宣言で松井一実市長は核兵器廃絶や世界恒久平和の実現を誓うとともに、東日本大震災と東京電力・福島第一原発事故にふれ、「前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります」と述べました。

8月6日は日本にとって、いや人類にとって特別な日です。1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」がウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を広島市に投下しました。人類史上初めて原始爆弾が実戦で使われたのです。

また、8月9日には長崎市に、B29爆撃機「ボックスカー」によってプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」を投下しました。この日の第一目標は福岡県小倉市(現在の北九州市)でしたが、爆撃経路侵入に失敗。天候も悪化したことで、第二目標の長崎市に変更になったのです。

私はこの時期、思い出す人がいます。伊藤サカエさんです。伊藤さんは広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)理事長で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員でしたが、2000年1月、亡くなりました。伊藤さんと出会ったのは1990年ごろです。まだ私は大学生でしたが、8月6日の前後に広島に行き、語り部たちの話を聞いたのです。その中のひとりに伊藤さんがいました。

原爆というと、非戦闘員を含めて多くの犠牲者がでたことから、当時の国際法に違反するとの主張もあります。私も同じことを思っていました。しかし、伊藤さんは被曝を「被害者」だけの視点では語りませんでした。国家総動員法があったとはいえ、伊藤さん自身、戦争の遂行者であったことで、「加害者」としても語ったのです。伊藤さんはもう亡くなりました。被曝者は高齢化し、当時を語る人は少なくなっています。当時、一瞬にして故郷を失った人がたくさんいました。一方で、今なお、被曝で苦しんでいる人たちもいます。

一方、8月5日、埼玉県さいたま市で「がんばろう ふくしま つながろう さいたま」というイベントがありました。原発事故で苦しむ福島県の地場産品を販売し、避難者の再会の場の提供と原発事故の風化しないように、と開催されました。実家が南相馬市にあるという真鍋祐子さん(37)は何かできないかともどかしい思いを抱えていますが、「線量が高い」との理由で両親から「帰ってくるな」と言われているのが切ない、と話していました。

また、原発から約80キロあるという白河地方からの参加もありました。この地方には、原発から10数キロの浪江町の人たちも多く避難しており、浪江町の地酒を販売していました。JAしらかわ青年連盟の中根哲男委員長は「風評被害で困っている。安心安全な食品を提供しようとしても、イメージがまだ回復していない」と話していました。

主催者の相双ふるさとネットワークの大田恵美子代表は「出身地は浪江町。昨年はみなさん生きることで必死でした。秋、冬ごろになると、落ち着きを取り戻していますが、かえって心の傷が強くなり、喪失感も出てきました。大飯原発の再稼働がありましたが、福島が見捨てられているように感じています。ただ、今は明日の生活がどうなるか不安な人が多いのです」と話しています。

ただ、このイベントのスポンサーも訪れた人も少なかったといいます。だからとって、「福島を忘れたんじゃないか!」とは言いません。人ぞれぞれ、日々の生活に必死のはずです。しかし、私たちは忘れないために何ができるのかを考えなければなりません。もちろん、原発の是非を考えることも大切です。加えて、いまなお苦しんでいる福島の人々の生活補償や心のケアはこれからなのです。

※写真…「がんばろう ふくしま つながろう さいたま」で米を販売していたJAしらかわ

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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