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2011年を振り返って

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もうすぐ2011年も終わろうとしています。
今年を振り返るたび、「取材に応じていただけた方々の思いに応え伝えることができたのか」と、自問自答してしまいます。

2011年になって最初に書いた記事は「いじめ自殺」でした。
私の出身中学で起きた「いじめ自殺」事件。2010年3月24日の発生のときから気になり、Twitterでつぶやいていました。また、発生直後でないと、学校側が隠す可能性もあるために、栃木県内に務めている知り合いの記者たちにも伝えました。学校側は記者会見をすることになりましたが、いじめの有無や因果関係については「不明」としていました。しかし、当初の記事で保護者がいじめの可能性を示唆したことから、この中学生の自殺について追求が始まるのかもしれないと思っていました。

しかし、翌々日の26日、1990年5月、栃木県足利市で起きた女児(4歳)の誘拐殺人事件…いわゆる「足利事件」で服役していた菅家利和さんの再審の判決公判が行われました。これに対し、宇都宮地裁は無罪を言い渡したのです。そのため、県内のメディアは「いじめ自殺」の報道をしなくなっていきます。私も他の仕事で忙殺され、忘れかかっていました。ただ去年の今頃、きちんと取材をしようと思い、取材を始めたのです。そのため、年末年始は、このいじめ自殺の取材をしていたのです。

何度か足を運び、ご遺族(ご両親と弟)の話を聞くことができました。最初に発表できたのは1月売りの週刊誌でした。ただ、紙面も限られているために、ご遺族の方々の思いをすべて伝えることはできません。そのため、このいじめ自殺の件を十分に書けるメディアを探していたのです。そんな中で、「3月11日」を迎えることになります。

「3月11日」以降、140日ほど被災地に行き、取材をしていました。
発表のあてもなく、自分でも「何かに取り憑かれたか」のように被災者の話を聞き続けました。正確ではないですが、一日平均3~5人は1時間以上、話を聞きました。5~10分程度の人を含めると、1日10人は話を聞いたかもしれません。何度も継続している人もいますが、延べ人数で言うと、1000人以上は話を聞いた計算になります。

ただ、私は話を聞くだけでななく、発表を前提に取材をしています。それを考えきちんと伝えられたのか、と思うとその10分の1も伝えきれていません。どのように発表すべきかを考えなければ、今後、話を聞くにも申し訳ないと思ってしまいます。


被災地取材の衝動の背景は、1995年の阪神大震災で継続取材ができなかったことへの後悔。そしてよく一人旅をしていた東北地方、小さいころ遊びに行くこともあった福島県などの思いが重なったことです。そのため、最初の思いは「赤字覚悟で、最低でも今年一年は継続取材しよう」と思ったのでした。私自身の目標は達成しました(「赤字」ということも含めて)。継続的に話を聞いている人もできました。しかしそこで、「ちゃんと伝えられたのか」という別の後悔が産まれました。

一人一人の物語を丁寧に紡ぎ上げるのは難しいことです。もちろん、当人自身の自伝のような形(たとえば、ブログやTwitter)も心を打たれるものがあります。被災直後にTwitterを始めた人も多いと思いますが、当時の様子や現在の生活のつぶやきは、現実を突きつけられるものがあります。しかし、他人だからこそ聞ける、伝えられること、メディアに携わっているからこそできることを見つけ、できるだけ多くの人に当事者の「物語」を伝えられるのかという思いが、私の仕事の源泉でもあります。

こうした「伝えられるのか」という問いは、2011年だけの話ではありません。私が1998年以来、取材し続けている自殺、自傷、生きづらさの問題も、話を聞いた人すべてを伝えきれていません。

しかし、今年は「3月11日」があったことは、改めてそれを問い直す機会だったと思います。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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