今だから話せる震災体験 「あの日」からもうすぐ3年 | NewsCafe

今だから話せる震災体験 「あの日」からもうすぐ3年

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東日本大震災からもうすぐ3年。被災地を取材していると、今だから話せるといった話を聞くのも少なくはない。当時、証言をしなかった人たちが話せるようになってきたということもあれば、今になって思い出したという話もある。また、震災後の心情の変化についても聞くことができる。

当時、引きこもりだった30代の男性がいた。大津波警報がなる中で、彼は家どころか部屋を出ようとしなかった。その彼を兄と母親が避難所に連れて行こうとする。しかし、説得に応じない。そうしているうちに、3人は津波にのまれてしまった。兄と母親は海岸沿いまで流され、お互いを確認できる距離にいた。しかし、引きこもりの男性はすでに行方不明だった。その後、何度か津波が2人を襲い、バラバラになってしまった。

兄のほうが気がついたら、陸に流れ着き、助かった。母親は行方不明となった。兄は父親が働いている職場に行き、「俺は大丈夫だから」とひと言。父親の職場は避難所になっていたため、その運営をしなければならなかった。父親は「俺は....」ということは、他の家族はどうなのか?と気にはなった。しかし、聞いている余裕はなかった。他の二人が犠牲になったことは後から聞いた。

父親はどうしても気がかりなことがあった。二人はあのときに亡くなって後悔していないのかどうかを知りたかった。それだけ傷が深い。遺族の傷を癒すには様々な手段がある。たとえば、「大切な人を亡くした人」のためのグループケア(みんなで体験談を話したり、聞いたりする)もあったりする。しかし、父親は傷を癒したいのではなく、後悔しているかどうかを知りたかった。そのために取った手段は、恐山のイタコのもとへ行くこと。二人とも「後悔していない」と言っていたという。

「亡くなった日を言うので、今から考えれば、震災の遺族だということはイタコにはわかりますからね。それなりのことを言うんでしょう。でも、そうだとしても、そのときは、本当に後悔していないかどうかを知りたかったんです」

何があったのか、何を考えていたのかを知りたい人は少なくない。しかし、亡くなった人が「あのとき」、何を考えていたのかを知ることは難しい。各地で震災時の避難行動について検証をしていたりする。もちろん、100パーセントの真実はすることもできない。3年という月日が経ち、忘れたり、思い出せないこともある。忘れることで生きて来られた人もいたりするだろう。ただ、まだ亡き人を思って、一度も泣いていない人もいる。感情にフタをしたのか。それともまだ悲しみなどの感情を実感できないでいるのか.....。

ここ数日、3月11日が近いということもあって、報道もそれなりに多くなってきた。そのため、記念日が来ると気分が落ち込む「記念日うつ」のようになっている人もいるだろう。その一方で、ようやく話せる人にとっては、吐き出すよい機会にもなっている。難しいのは、被災者といっても、被災の程度、被災した場所、亡くした人の有無などによって、気持ちが違うことだ。そのため、「被災者」というカテゴリーでひとくくりにはできない。

私はある一人の女子中学生の死について、こだわりを思っているところがある。その中学生は最後は母親と一緒だったが、津波でバラバラになった。母親は助かったが、中学生は亡くなった。その中学生の遺体を発見した消防団員に話を聞くことができた。その子が発見される時の様子を聞いたのは初めてだった。まだ一人の震災体験をきちんと聞き取れていないと実感したときだった。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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