「はだしのゲン」閉架式問題から考える「図書館の自由」 | NewsCafe

「はだしのゲン」閉架式問題から考える「図書館の自由」

社会 ニュース
故中沢啓治さんの代表作で、広島での被爆体験を元にした漫画「はだしのゲン」が昨年12月から、島根県松江市立の小中学校の図書館で、利用者の子どもたちに閲覧制限をしていたことがわかりました。今月になってこの問題が報じられると、鳥取市の公共図書館でも、一昨年から閲覧制限になっていたことがわかりました。広島県の湯崎英彦知事は記者会見で「自由に読んでもらっていいと思う」などと述べて、閲覧制限に対して批判的な立場を取っています。

「はだしのゲン」は、第二次世界大戦下で広島に原爆が投下され、その被害にあった少年が主人公の漫画です。この漫画に対して、松江市教委は、すべての学校に対して、子どもが図書室等で自由に読むことができない「閉架」の措置をとるように口頭で要請したといいます。貸し出しはできませんが、校長の判断で閲覧ができる状態だといいます。

今回の騒動のきっかけは、「松江市の小中学校の図書室から『はだしのゲン』の撤去を求めることにして」といった陳情が出されたことから始まりました。2012年9月定例会で教育民生委員会に付託されましたが、継続審議となっていました。その後、12月の市議会で、審査の経緯と結果が報告されました。

この陳情は、個人名で出されています。それよりも前に、松江市教委へ直接的な抗議行動が行なわれています。この様子はニコニコ動画にもアップされています。抗議する側は、「内容が事実と違う」などの理由によって、撤去を求めていました。市教委は当初は「撤去しない」と言っていましたが、閉架措置にしたということは、「撤去はしていない」ながらも市教委は見解を変更したことになります。

私はこの動画がアップされたときにも見ていますが、このときは、行政側がどんな対応をするだろうか。直接抗議を何度もされた場合、行政職員が疲弊して、思考停止してしまわないかと心配ではありました。結果、問題を指摘されていない巻を含む全巻を閉架措置にしました。

指摘されたのは、「はだしのゲン」の主要な部分である被爆体験ではなく、日本軍が中国で行なった残虐行為の部分です。たしかに、漫画作品の一作品の詳細がすべて「事実」なのかどうかを評価することは難しい問題です。こうした問題があるとき、図書館としてあるべきは、批判的な図書も置くことです。そもそも、歴史的事実がすべて事実かどうかを争われれば、図書館に置くべき歴史関連書籍はなくなってしまうかもしれません。

委員会で不採択とはなりましたが、当初は優良図書と考えていたものの、過激な描写が多いことなどから、「『はだしのゲン』という漫画そのものが、言い方は悪いが不良図書と捉えられると思う」「教育委員会がみずから判断をし、適切な処置をするべき」との意見があったことが報告されました。市教委の判断はこうした陳情の影響を受けてるのではないかと思われています。

一つの作品を巡って、かつて長野県松本市でも、事実上、閲覧制限をしていたことがあります。小説「みどりの刺青」(ジョン・アボット著)は、サリンを自作して大統領の暗殺を謀るとううものです。松本市中央図書館が閲覧制限をしたのは、1994年の松本サリン事件後です。このとき、「図書館の自由宣言」に照らした見解を出すために、まずは職員が読むことになり、利用者が閲覧できませんでした。その後、貸し出しを再開し、利用者懇談会を開き、広く意見を聞くことになったのです。

利用者から見て「図書館に置くべきではない」と思うような作品は、どんな図書館でもあるものです。しかし、図書館資料は、政治的な信条などに左右されるべきではないでしょう。歴史認識や表現の自由の問題となればなおさらです。ただ、実際問題として図書館が利用者との間でトラブルを抱えることがあります。今回の松江市での問題もそうです。そんなときは、松本市中央図書館が行なった利用者懇談会のようなものを開くことがよいのではないかと思っています。

日本図書館協会(日図協)は「図書館の自由に関する宣言」を出しています。1)図書館は資料収集の自由を有する、2)図書館は資料提供の自由を有する、3)図書館は利用者の秘密を守る、4)図書館はすべての検閲に反対するーといった内容です。

しかし、1976年11月、「ピノッキオの冒険」について障害者差別との観点で回収の騒動が起きたときがあります。この際に、日図協は1)問題が発生した場合には、職制判断によって処理することなく、全職員によって検討する、2)図書館員が制約された状況の中で判断するのではなく、市民の広範な意見を聞く、3)とりわけ人権侵害に関わる問題については、偏見と予断にとらわれないよう、問題の当事者に聞くーという「検討3原則」を加えました。

松江市教委の判断は、広範な市民の意見を聞いたわけではありません。事務局が判断したものであり、教育委員への報告もありませんでした。図書館を巡る問題、とりわけ収集した資料の取り扱いは、知る自由や表現の自由にかかわります。また、今回はクレーム対応の問題でもありました。行政をいかに「開く」ことが民主的なことですが、抗議も多くなることでしょう。そうした時代の行政運営が問われます。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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