井上康生に託す夢 | NewsCafe

井上康生に託す夢

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全日本柔道連盟は男子日本代表の新監督に井上康生が就任したと発表した。都内で会見した井上新監督は「総合力」をテーマに掲げて改革を宣言。柔道界再建に向けてスタートを切った。

「何か重たいものが背中にどっかり乗っかってくる感覚です。自分自身が覚悟を決めていかないと、金メダルゼロの結果は再建できない。4年後のリオ五輪、柔道界の再建に向けて全身全霊を懸けたい」。斉藤強化委員長とのタッグマッチで強化を図る。「一本を取りに行く柔道を変えるつもりはない。されど組めば投げられるようでは勝てない。いかにして組んで一本を取りに行く過程をつくるか。それを考えないといけない。そのためには、これまでやってきた練習は大幅に変わっていく」。一本は日本柔道の根幹。しっかり組んで投げる柔道。力に勝る海外勢は簡単に組ませてくれない。その対応力が日本は弱かった。世界一の練習量をこなしたが、勝てなかった。「スポーツ科学や医科学も利用したい。どうすれば効率よく勝てるか考えた上でトレーニングをする必要がある」と訴えた。

「5歳から柔道を始め25年。柔道に全ての情熱を注いでやってきた。我が柔道人生に悔いなし」。4年前の全日本選手権で敗退し、北京五輪への出場が途絶えた日に引退を表明。2000年のシドニー五輪では全試合一本勝ちで金メダリスト。しかしアテネでは日本選手団主将に選ばれ、金メダル確実と期待も高かったが、準決勝で敗退。「この屈辱、悔しさは未だかって味わったことがない。これから先の柔道人生のプラスにする」と言葉を詰まらせ復活を誓った。しかし大怪我が相次ぐ。特に右大胸筋腱を断裂は得意の内股には致命的。屈辱は雪げなかった。佐藤宣践は「一言で言えば、内股の達人。山下が名人なら、井上は達人だ」と賞賛。その山下は「これほど芸術的な美しい技をもった選手はいない。肉親の死や怪我などいろんな挫折を経験したが、逃げなくて立ち上がって向かっていた経験は指導者として生きる」と語った。最強の指導者の誕生といえる。

明治の始めには古流柔術は100派以上あった。天神真楊流の講道館加納流柔道が誕生。その後対抗して多くの流派が統合され武徳会が誕生。また帝大柔道連盟による高専武道も片方の雄だった。戦時体制下で大日本武徳会と統合され、戦後は軍部との関係で武徳会は解散させられ、講道館が生き残り今日の繁栄を見ている。その中で戦前戦後を通じて活躍したのは木村政彦。13年連続日本一。展覧試合制覇講。得意の大外は禁じ手ともされた。4段までは質実剛健な武徳会に属した。戦後はプロ柔道や格闘技に進出し講道館柔道とは離れるが、心身を極限まで鍛えた木村は最強の男とも言われる。JOC海外指導員研修で2年間英国で過した井上は外から日本の柔道を見て、外人が彼らなりに、自分の身体の特徴を生かし、いろんなものを生かして理にかなった技というのを身に付けていることを知る。この視点こそが講道館柔道の弱点だろう。心身を極限まで鍛えた第2の木村を誕生させることだ。綺麗な一本より相手を倒し勝つ柔道。その先に一本柔道も見えてくる。先ずは生活がかかる世界のプロ相手に勝つ道を探ることだ。あわせてビゼール会長に支配される畳外パワーに、日本も対抗できる体制を整える。井上一人では勝てないことを知るべきだ。

[ビハインド・ザ・ゲーム/スポーツライター・鳴門怜央]
《NewsCafeコラム》
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