妖精の涙 | NewsCafe

妖精の涙

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パリ、ロランギャロス。3度目のマッチポイントで、シャラポワが優勝を決めた。
その瞬間コートにひざまずき、顔を両手で覆って感激の涙を流した。ロシア人で初めて生涯グランドスラムを達成した美女は「ここまで長い道のりだった。支えてくれた多くの人に感謝したい」とコメント。17歳でウインブルドンの女王になりコートの妖精として華々しくデビューしてから8年経ち、10人目の女王の心に去来したものはなんだったのだろう。

6歳のときにモスクワでマルチナ・ナブラチロワにその才能を見出される。そして9歳のときに父親と二人でアメリカ・フロリダ、ニック・ボロテリー・テニスアカデミーに入門。
このとき父親の所持金はわずか500ドルだったと言われる。娘の腕に一家の将来を賭けての渡米だった。腕を磨いたシャラポワは14歳の時に日本・草津の大会で初優勝。翌年、03日本オープンで優勝。これがWCTでの初優勝となった。そして04年ウインブルドン。決勝でセレナ・ウイリアムスを破り初のメジャー大会優勝を飾った。緑の芝での白い妖精は、テニスファンならずとも多くの人の心を奪った。翌年、世界ランキング1位。06年には全米オープン優勝。日本での初優勝などで、日本での人気はとりわけフィーバー。キャノン・ホンダ・サントリーなどと専属契約しTVCMが氾濫。
またファッションショーのモデルとしても活躍。「世界で最も美しい50人」にスポーツ界では女性としては只一人選ばれ、セレブの仲間入りをした。

08年、全豪でアナ・イバノビッチを破り優勝。生涯グランドスラムに王手をかけた。
しかしこのときに、シャラポワの身体には問題が発生していた。肩の深刻な負傷が明らかになり、ツアー休場を余儀なくされたのだ。
そして生命線とも言える右肩にメスを入れ、8か月の欠場。やっと戻ったシャラポワのランキングは102位まで落ちた。さらに術後の調子は万全ではなく、特にサーブは不安定。メジャーでの早期敗退はごく普通になった。

栄光は過去のものかに見えたが、本人はカムバックを目指す。帯同する父親と決別し、コーチも新しく迎え、トレーナーも代えた。取り組んだのは強い体力づくり。そのために体幹、心肺機能や持久力の強化に取り組んだ。足の長い足をもてあますクレー対策として、フットワークも鍛えた。そしてこのローランギャロスに登場したシャラポワは若いころを髣髴させるスリムな体に仕上がっていた。そして生涯グランドスラムへの挑戦が始まった。

終わってみれば、シャラポワの圧勝の大会だった。
優勝までに落としたゲームは1セット。サービスエースが決まり、フォアのパッシングがラインを走った。かつてのように精神的なもろさも見えず、終始冷静だった。

涙を拭いた後はコートで飛び跳ね、久々に満面の笑みを見せた。優勝カップのプレゼンターはモニカ・セレッシュ。コートを切り裂く大声の元祖だが、シャラポワの大声もセレッシュには負けない。
その二人が表彰台に立ったのは何かの縁か。既に世界の女子スポーツ選手では長者番付1位の座を獲得。一家の挑戦には十分報いた。残るは自己の才能を見出し今日のチャンスを示唆してくれたナブラチュロワに少しでも近づくこと。10人目の生涯グランドスラマーになり、これまでの長い道のりが心を駆け巡ったことだろう。

[ビハインド・ザ・ゲーム/スポーツライター・鳴門怜央]
《NewsCafeコラム》
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