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菊地容疑者逮捕報道、慎重に

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ワールドカップサッカーアジア最終予選のオマーン戦の途中、ニュース速報が流れました。地下鉄サリンン事件などの一連のオウム真理教教事件で、特別手配されていた菊地直子容疑者が警視庁に出頭した、というのです。最初にNHKが速報を流したあと、各社も後に継いぎました。出頭というと、自ら警察に行った、ということが頭に浮かびます。しかし実際には、任意同行の後に逮捕だったようです。

警視庁によると、菊地容疑者は、地下鉄サリン事件の殺人罪などを問われ、判決が確定したオウム真理教前代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚らと共謀し、1995年3月20日午前8時ごろ、地下鉄日比谷、千代田、丸の内線の車内でサリンを散いて、乗客12人を殺害。5553人を負傷させた疑いがあります。菊地容疑者は、「化学斑」責任者の土谷正実死刑囚のもとで、実験データをまとめていた、というのです。

当初、ニュース速報では「出頭」と表現されていましたが、実際には「任意同行後の逮捕」です。三日午前、警視庁本部を訪れた男性が「菊地容疑者に似た女が男と相模原市緑区城山の一戸建てに住んでいる」との情報を提供。捜査員が張り込みをしていたところ、コンビニ袋を手に持った女が午後8時近くに歩いて帰宅しました。捜査員が「菊地か?」と声をかけると、「はい」と答えたというのです。

地下鉄サリン事件が発生したその日、私は地方紙の記者をしていて、ある村役場で取材をしていました。総務課長がテレビを指し、「行かなくていいのか?」と言われたのを覚えています。映像を見て、前年に起きた松本サリン事件が頭に浮かびました。これで疑われていた河野義行さんの嫌疑が晴れたと思ったと同時に、より深刻な事態だと思った記憶があります。

ちなみに、私がオウム真理教を知ったのは、1989年。大学に入学をしたとき、学内に麻原彰晃研究会がありました。また、友人の中には、その後中退をして、行方不明になるのですが、オウム真理教の信者もいました。当時はまだ新興宗教のひとつだったのですが、それほど注目はされていませんでした。その後、国政選挙に出ていました。「ショーコー、ショーコー、ショコ、ショコ、ショーコー、ア・サ・ハ・ラ、ショーコー」などの歌が耳を離れませんでした。しかし、落選したことで、組織としては先鋭化していきました。

結局、地下鉄サリン事件後、大学時代の友人は、オウムシスターズと呼ばれる"四姉妹"の1人と都内の駐車場にいるところを、非現住建造物侵入罪で逮捕されました。その報道によって、大学時代の友人が生きていることを知りました。私にとっては「同時代の事件」そのものでした。そのため、私自身、関心が高く、その後の麻原逮捕後のオウム真理教についても取材を続けてきました。警察の明らかな情報操作もあったりしました。

菊地容疑者の逮捕後、警視庁は現在の写真を公開しました。写真を見て不自然な思いがした。それは、手配写真とまったく違うことだ。17年前の手配写真のため、加齢もあるので、変わっていても不思議ではありません。しかし、情報提供した男が「似た女」と表現するほどの容姿ではありません。情報提供は別の内容だったのではないかと疑ってしまいます。

また、指名手配について、疑問に思うことがあります。指名手配とは、逮捕状が出ているものの、被疑者の居場所がわからないために、全国の警察署に手配することを言うのです。菊地容疑者の場合は「特別手配」ですが、殺人やテロなどの場合が対象になります。その意味では問題ありません。

指名手配というのは、あくまでも警察の嫌疑で行なうもの。メディアで写真を掲載することは、犯人視報道をすることになり、警察の見込みの片棒を担ぐとの批判があるのです。過去を振り返ったとき、オウム関連事件のひとつ、まさに松本サリン事件ではまさに犯人視報道の批判にさらされてきました。

今回の菊地容疑者が犯行を認めている供述をしているとの報道がされています。しかし、「~と供述した」との報道は警察に都合のよい情報が流されることが常です。もちろん、供述報道が一切ないのも、社会的関心から考えれば、おかしなことです。ただ、だからこそ、慎重な報道が求められるのではないでしょうか。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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