「鮎も解禁、いよいよ本格的な夏の訪れですね」
手紙を書く機会があり、手紙の書き方の本を引っ張り出し、季節の挨拶を調べたのだが、6月の上旬の挨拶として紹介されていたのが上記の例文である。
この例文を読んで故郷の6月の情景が頭の中にパッと広がった。
県道沿いの「友鮎」の看板、鮎のあのスイカに似た香り…。本当に天然の活きのよい鮎はスイカの香りがするのだ。
そして情景は広がっていく。圧迫感すら感じる山の緑、キラキラと光る川面、梅雨の雨の匂い、夜の川原の暗闇に光る蛍…。
そう私は山間の川の辺の町出身なのである。
この鮎の一文は、私に故郷の夏と、その情景を思い出させ、懐かしいような切ないような、古い記憶の引き出しを開けてもらったような気分にしてくれた。
若い頃には「手紙の季節の挨拶は、いったい何の為にあるんだ?」などと思ったこともある。
しかし、手紙の冒頭で季節の情景を思い浮かべてもらい、穏やかな気持ちを読み手に作るという、素晴らしい心遣いであると、気付かされた。
ところで、鮎の解禁を本格的な夏の始まりの風物詩と実感できる人は、どのぐらいいるのだろうか。
東京生まれの東京育ちの妻に聞いてみたところ、そもそも鮎の解禁について、生まれてこの方、一度も意識したことはない、との返答であった。
さらに鮎について知っていることを聞いてみると、夏になるとスーパーに鮎があるので、鮎は夏の魚だという認識がなんとかある、ぐらいなものだそうだ。
妻だけでなく、都市部の方の、鮎に対しての認識は概して、その程度のものであろう。
その点を考慮にいれると、この「鮎も解禁、いよいよ本格的な夏の訪れですね」という季節の挨拶も、都市部の方や、鮎の獲れる川のない地域の方には、心に響かないものになってしまうのではないだろうか?
読み手の住む地域、生まれなども考慮に入れて、季節の挨拶を選ぶことも、手紙を書く上で、重要な心遣いのポイントなのかも知れない。
手紙というものは、季節の挨拶ひとつとっても、なかなか奥が深く、そして難しいものである。
さらりと素敵な手紙の書ける、そういう人に私はなりたい。
[編集後記~Newsスナック/NewsCafe編集長 長江勝尚]
《NewsCafeコラム》
page top