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「震災がれき」を考える

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神奈川県の黒岩裕治知事が、放射性物質を含む「震災がれき」を受け入れを表明しています。これに対して、がれきの焼却灰の埋め立て場所となる県の産業廃棄物処理場(横須賀市芦名)の周辺自治会と連合町内会は、受け入れ反対を表明。理由としては、「県内から出た産業廃棄物」の限っており、県と自治会が結んだ「協定書」の順守を求めているのです。

一般論としては、そのエリア(県なら県)で排出された産業廃棄物は、そのエリア内で処理すべき問題です。 水源を汚染する可能性が心配されますし、不法投棄が問題になります。地盤沈下も発生することがあります。こうした問題が起きないように、排出者責任を定めています。しかし、例えば首都圏で土地がなかったり、地代が高いことから、排出されたものが圏内で処理されず、北関東や東北で処理されることもあります。これが従来から問題になっていました。

私の実家のある栃木県那須町も、"産廃銀座"とも言われる、産業廃棄物処理場が集中する地域になっています。不法投棄も多く、地元でも問題になっています。1998年に起きた那須水害で、産廃があらわになり、中には適切に処理されていないに不法投棄された医療廃棄物まで見つかっていました。そのため、産業廃棄物の処理には適正さ、かつ慎重さが求められることには間違いありません。

神奈川県のケースでは、産業廃棄物処理場が横須賀である事情もあるのでしょう。横須賀港は原子力空母が寄港している場所でもあり、原子力に嫌悪感を抱く住民もいます。また、焼却灰はそもそも有害物質を含んでいるために、土壌汚染の可能性や、風評被害をもたらすこともあります。

おそらく最大の問題は「どの基準だと安全な放射線量なのか」ということだろうと思います。「受け入れるのは国の基準で放射性物質に汚染されていないとさるがれき」と説明したとしても、「その基準を信用できるのか」という問題になります。一見、"科学論争"のようですが、実は、これは"哲学論争"ではないかと思っています。

そもそも地球上に放射線が「0」である地点はありませんし、1970年代は、アメリカ、ソ連、中国などの核実験の影響で現在よりも大気中の放射線量は高かったのです。被曝するかしないかで考えれば、すべての人は被曝しています。もちろん、生涯に浴びる放射線は少ないほうがよい…おそらくこれは合意が取れる話です。しかし、どのくらいの放射線だと危険なのか?が、実際の科学ではっきりしているわけではありません。

被爆地の広島・長崎、原発事故のチェルノブイリでは一定の科学的な分析がなされています。しかし、今回の東京電力・福島第一原発事故は、チェルノブイリとは違い、原子炉が爆発していません。その一方で、排出されたセシウム137は広島型原爆の168個分とも言われています。これは一体どのくらいリスクがあるのかははっきりしないのです。

空間線量は一部の地域(警戒区域や計画的避難地域、およびその周辺)を除けば、低線量です。空間線量が他より高いというだけで、即、「健康リスク」があるわけではないことは分かっていますが、低線量の長期被曝はどのような影響があるのかはわかりません。

もちろん、リスクがあればなるべく「0」に近づけたい。それは誰もが思う素朴な気持ちであり、誰もそれを否定できないと思います。それに基づいて、震災がれき問題を考えるとき、受け入れるべきか否かだけを考えれば、受け入れないということになるのは当然かもしれません。しかし、では、一体どこで震災がれきを処理するのか?という問題が浮上します。

しかし、私は「震災がれき」問題はもはや、これは純粋に「健康リスク」論争というよりは、もはや「迷惑かどうか」の話ではないのかと思っています。「健康リスク」をならば、放射線だけがリスクではありません。たばこも農薬も重金属もすべて一定のリスクをもとなう。それらは問題にせず、単に放射線だけを問題にするならば、もはや、「アレルギー」ではないかと言えます。

考えてみれば、事故があったのは、関東地方の電気をつくる東京電力の原発。その電気の恩恵を被って来たのは関東地方です。「迷惑施設としての原発」を「地域に雇用を生み出す」ものとして、「経済が疲弊している地域」に"押し付けた"構図ではないでしょうか。

せめて、これまで「迷惑施設としての原発」を押し付けてきた責任や贖罪として、関東地方が震災がれきを受け入れるべきではないかと思ってしまうのです。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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