ハロウィンの季節に起こった悲劇的な射殺事件 | NewsCafe

ハロウィンの季節に起こった悲劇的な射殺事件

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今から19年前の1992年10月17日、ハロウィンムードで盛り上がるアメリカで、ある悲劇的な射殺事件が起こった。その事件とは「日本人留学生射殺事件」。

アメリカのルイジアナ州バトンルージュに留学していた日本人の高校生・服部剛丈さんが、寄宿先のホストブラザーと一緒にハロウィンパーティへ出かけた。しかし、服部さんはパーティ先の家と間違えて別の家を訪問してしまい、家人ロドニー・ピアーズから侵入者と判断され射殺されてしまったのである。
報道によると、ピアーズから「フリーズ(「動くな」の意)」と警告された服部さんだったが、仮装の際にメガネを外していたため状況が分からず、「プリーズ(「どうぞ」の意)」と聞き間違えてしまった。そして、「パーティに来たんです」と説明しながらピアーズの方に進んだところ、玄関先でピアーズから約2.5mの距離で射殺されたという見解が出ている。

ピアーズは、日本の刑法では傷害致死罪に相当する計画性のない殺人罪で起訴されたが、同州の東バトンルージュ郡地方裁判所陪審員12名は全員一致で無罪の評決を下した。評決の理由は裁判において、明らかにされていない。しかし評決後、陪審員の記者会見で「外国人が米国の制度に口出しをするのが不快だった」という言葉に見られるように、過剰防衛という刑事上の問題を銃規制という文化批判にすり替えてしまった遺族側の失策に起因するとも考えられる。

だが、この後行われた遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判では、刑事裁判とは正反対の結果となった。ピアーズが家に何丁も銃を持つガンマニアであり、しばしば近所の野良犬や自宅敷地内に入ってきた犬猫を射殺。当日は酒に酔っていたことなどが実証されたため、正当防衛であると認められないとして65万3000ドル(およそ7000万円)を支払うよう命令する判決が出され確定したのだ。ただし、ピアーズは自己破産をしたため免責となり、実際の支払いはほとんどなされていないという。

服部さんの両親はAFSと友人たちの協力で「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」に署名を求める活動を開始。1年あまりで170万人分を超える署名を集めた。1993年11月、当時のアメリカ大統領、ビル・クリントンに署名を届けるために面会.服部夫妻がワシントンD.C.に滞在していた間に、アメリカにおける銃規制の重要法案であったブレイディ法が可決されたのである。
当時、銃規制運動もアメリカ国内では賛否両論があった。しかし、困難を極めたブレイディ法の成立に服部夫妻の運動が影響したことは明らかである……。

【NewsCafe事件簿:日本人留学生射殺事件】
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