[第19回]サバイバーズギルト(前編)被災者が感じる罪悪感・恥の意識 | NewsCafe

[第19回]サバイバーズギルト(前編)被災者が感じる罪悪感・恥の意識

社会 ニュース
被災地での心のケアをどうするのか。



どうして生き残ってしまったのか。こういう考えは、「サバイバーズ・ギルト」と呼ばれます。

災害後の心的外傷の反応としてもっとも特徴的なひとつとされています。

災害が起きると、被災者は恐怖を感じます。そして何もできなかったことを恥じることさえあります。

そして生き残ったことへの感謝もありますが、同時に、罪悪感を抱くことがあります。

また、被災しながらも、家を失ったわけでも、家族を失ったわけでもないのに、他人と比べ、何も失っていないことへの罪意識を感じることもあるとされています。



ただ、日本の場合、「罪悪感」よりも「恥」の意識が強いことも指摘されています。そのため、「サバイバーズ・シェイム」とも呼ばれたりします。

ニュースカフェに、「避難所には生き残ったことへの罪悪感で『死にたい』と言う人も」(週刊ポスト2011年5月6日・13日号)が掲載されています。

記事では、岩手県宮古市の「たかはしメンタルクリニック」の高橋幸成院長の、「親友が亡くなったことで、『あんないい奴が死んで、俺が生き残るなんて』と自分を責めているのです」という言葉を紹介しています。



この感情は、時には被災地外にも伝播しています。

阪神大震災や新潟中越地震、または台風や水害で生き残った人たちは、「あの時」の記憶が甦り、不安な日々が続き、再び、あのときの感情を思い起こしてしまった。

フラッシュバックと呼ばれる心の動きです。

私が管理しているサイトや掲示板、SNS、ツイッターを通じて、そうした感情を表出する人がいました。

被災地への取材前、私は、精神看護の複数の専門家にアドバイスを受けました。

被災者が家や家族、友人を失った場合、悲しみを抱く。余震が続く中で生活をしているために、夜眠れないことが続くことがある。

それ自体は当たり前の感情であり、特別なことではない。

悲しみが表現される場所があれば、そこで表現できればいい。

そこに、専門家がいることは必須条件ではない。専門家でなくても、家族や友人、地域の人たちが、話を聞くことで徐々に消化されることがあるのです。



ある専門家は私に対しても、

「取材をした記者も、『サバイバーズ・ギルト』や『サバイバーズ・シェイム』を感じることがある。これは阪神大震災でも指摘されている。注意してください」と。

たしかに、取材をしていると、様々な人の感情を耳にします。

話を聞いていると、その場面を想像し、「話を聞くことしかできない無力感」を抱くことがあります。

その通りで、私が最初に感じたのは、無力感でした。

今でも被災地を回っていると、無力感に陥ることがあります。(続く)
《NewsCafeコラム》
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