震災からの復興へ懸命な努力が続く東北。渋井氏は3月21日から27日にかけて、宮城・福島を取材。被災者の方々の声を聞いた。
■仙台市若林区荒浜
(3/22・23)
避難先となっている八軒小学校にて
●荒浜小学校へ避難した早坂勝良さん(70)
私どもの地域は、若林区の荒浜という地域で、海岸に接したところです。仙台市の唯一の海水浴場で深沼海水浴場という名前のところです。
あの地域は、(陸地に)海水が来ないように堤防で完全にふさいであるんです。ところが津波によって海が完全に川と一緒になっちゃったんです。地震時には荒浜小学校に避難するという申し合わせがあります。
●畠山てる子さん(63)
佳子さん(31)
颯太くん(7)
佳子さん「(地震が来たのは)子どもがちょうど学校から帰ってきて、一緒におやつを食べていた時です」
――家にいたということですか?
佳子さん「家に3人でいました」
てる子さん「身の回りの物、とにかく小銭の入ったバッグを持って(避難した)。子どもは学校で避難訓練を受けているので、机の下にすぐもぐりましたね。私よりも賢いなあと思いました」
佳子さん「でも外に逃げたほうがいいかなと思って」
てる子さん「それでも家の中にいても、家が倒れたら自分も…と思いましたから、外に出て。周りの方もリュックを背負って。うちも逃げたということが周りの方に分かるように、家に白いタオルを結びつけて、コミュニティセンターに避難しました」
佳子さん「地震だったら、アルバムとか物を取りに行けますが、津波だからアルバムとか昔の思い出の賞状とか(取りにいけない)」
てる子さん「かけらでも落ちていないかなという感じで、バスも通っていませんけど」
佳子さん「見つけるのが難しいと思うんですけどね」
佳子さん「私たちは家族みんな無事だったんですけど、家族を亡くした方とか、物資が届いていなくて、パン1個を家族5人で分けたとか聞いているので、それに比べたら恵まれてるのかなと思います」
●勝彦さん(70)
町内が75区あるんですよ。(声をかけるために)海岸通り回って、中通りに来て、貞山堀の方にまた入って、約80パーセントくらい回ったかね。地震が来てすぐ飛び出したから、消防車よりも早く回って歩きました。道路に出ていた人もいるし、シャッターを直している人もいたし、窓を直している人もいたし、「そんなことしねえで、とにかくすぐ逃げろ」と声をかけて回りました。
…犬が心配だからと津波にのまれた人も
直接声かけして亡くなったのが、ひとりだね。ペットの関係でね、家に戻ってペットがいなくなったから、という感じで。その人は(津波に)のまれました。
取材・撮影:渋井哲也
《NewsCafeコラム》
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