発見された戦艦「比叡」の艦歴を振り返る 切手に描かれた御召艦が鉄底海峡に眠るまで 3ページ目 | NewsCafe

発見された戦艦「比叡」の艦歴を振り返る 切手に描かれた御召艦が鉄底海峡に眠るまで

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1926年、佐世保にて主砲の操作訓練中の「比叡」。練習戦艦に改装される前の、比較的初期の姿(画像:アメリカ海軍)。
「比叡の最期」に新発見か?

「比叡」が属する第十一戦隊の司令官は、13日の16時に雷撃処分(魚雷による攻撃で沈めること)を命じますが、連合艦隊司令部は雷撃中止命令を出すなど、対応が混乱します。戦隊の戦闘詳報には魚雷が発射されたか否かの記載がありません。こうして総員退去後、夕闇が再び迫り、生き残った艦はヘンダーソン飛行場の砲撃に向かう味方艦隊との同士討ちを避けるため、「比叡」から離れて退避します。これ以降の「比叡」の姿は確認されておらず、沈没時の詳しい状況は分かっていません。「比叡」は太平洋戦争で戦没した、最初の日本戦艦でした。 注水自沈により静かに沈没したと想像されていましたが、今回、発見された姿は前部70mが失われており、なんらかの爆発があったと見られています。ひょっとしたら雷撃が実施されていたのかも知れません。

「ガダルカナル島」の名前は、太平洋戦争の開戦当初は、日本軍関係者にもほとんど知られていませんでした。しかし、アメリカとオーストラリアの交通線をカバーできる、飛行場が建設可能なほとんど唯一の島であったことから、日本軍とアメリカ軍とのあいだで激戦地に。最初の飛行場(ルンガ飛行場)は日本軍が設営しましたが、アメリカ軍に奪われ、拡幅されて「ヘンダーソン飛行場」と改称されます。「比叡」の砲撃目標はこの飛行場でした。 ガダルカナル島の北方に存在する海域(海峡)には、「比叡」を始め、日米の艦船、航空機が多く沈んでおり、「海底を鋼鉄の残骸が埋め尽くしているようだ」ということから、「アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)」と称されるようになりました。現代ではスキューバダイビングの人気スポットにもなっており、日本人も多く訪れています。しかし、多くの人々が眠る墓所であることも忘れないようにしたいものです。
《乗りものニュース》

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