50年を経て復活した渡し船、行先は「廃村」のナゼ 秘境・奥会津の新観光スポットに | NewsCafe

50年を経て復活した渡し船、行先は「廃村」のナゼ 秘境・奥会津の新観光スポットに

山深く、厳しい自然が広がる「奥会津」。そこを流れる只見川の小さな渡し船が近年復活し、観光スポットとしてにわかに注目されています。しかし、その行先は50年以上前の廃村。いったいどのような光景が広がっているのでしょうか。只見線の駅近くから只見川対岸の廃村へ …

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霧が立ち込める只見川をゆく「霧幻峡の渡し」(加藤桐子撮影)。
山深く、厳しい自然が広がる「奥会津」。そこを流れる只見川の小さな渡し船が近年復活し、観光スポットとしてにわかに注目されています。しかし、その行先は50年以上前の廃村。いったいどのような光景が広がっているのでしょうか。

只見線の駅近くから只見川対岸の廃村へ どんな場所?

 福島県西部、会津地方の山間地域「奥会津」は日本有数の豪雪地帯で、日本屈指の秘境ともいわれる地域のひとつ。只見川に沿ってJR只見線が走っていますが、途中の駅もほとんどが小さな無人駅です。そのような無人駅のひとつである早戸駅(福島県三島町)から徒歩10分のところに船着き場があり、そこから出ている手漕ぎの渡し船が、近年メディアなどで取り上げられ、にわかに注目を集めています。

 この船は「霧幻峡の渡し」と呼ばれています。名前の通り、夏の夕方から早朝にかけては只見川に濃い川霧が発生し、その水面を10人乗りの小さな船が滑るように進んでいくという、幻想的でフォトジェニックな光景が人気の理由です。もちろん天候にもよりますが、朝、日が昇って気温が上がってくると川霧は次第に晴れ、水面は鏡のように山々を映し出します。かつてはもっと流れが早かったそうなのですが、只見川に11基のダムが建設されたことにより、水深が深く、緩やかな流れになったのだとか。そんな川を船は対岸を目指して進んでいきますが、対岸にあるのは、廃村となった三更(みふけ)という集落の跡。いまは誰も暮らす人のいない場所です。 渡し船はかつて、三更集落の人々の重要な交通手段でした。街道や鉄道を利用するには対岸に渡らなければならず、陸路では大変な遠回りとなったためです。毎日の仕事や通学に渡し船は欠かせず、集落のすべての家に船がありました。専門の船頭などもおらず、小学校に入る前の幼い子も自分で船を漕いでいたといいます。 三更集落には江戸時代に人が住み始め、およそ250年に渡って静かな暮らしを営んでいました。集落は全部で10戸ほどでしたが、1953(昭和24)年にこの近くで硫黄鉱山の採掘が始まると、鉱山で働く人々で集落は大変賑わうようになりました。しかし、採掘開始から7年後には鉱山が閉山。運営していた事業会社も解散したため、鉱山跡は放置されてしまいます。 放置された採掘跡の穴には雨などの水が溜まり、付近の山は陥没や崩落を繰り返します。ついには「ブナ坂大崩壊」と呼ばれる大きな土砂崩れが起き、集落は土砂に埋め尽くされ、三更集落の人々は、この地からの移転を余儀なくされてしまったのです。それは1964(昭和39)年のことでした。
《乗りものニュース》

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