「自殺やめました」きっかけは一通の手紙 “野人”サッカー元日本代表・岡野雅行が現役を引退しても走る理由 | NewsCafe

「自殺やめました」きっかけは一通の手紙 “野人”サッカー元日本代表・岡野雅行が現役を引退しても走る理由

【インタビュー】元サッカー日本代表・岡野雅行氏が明かす「ジョホールバルの歓喜」秘話

スポーツ AbemaTIMES/スポーツ
「自殺やめました」きっかけは一通の手紙 “野人”サッカー元日本代表・岡野雅行が現役を引退しても走る理由

【インタビュー】元サッカー日本代表・岡野雅行氏が明かす「ジョホールバルの歓喜」秘話

 昨年12月、バラエティー番組『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)に出演し、その壮絶かつ感動の高校時代が話題をさらったサッカー元日本代表のストライカー、“野人”こと岡野雅行。今回、その岡野の“激レア”体験がドラマ化されるにあたり、改めて話を聞いた。


* * *


 野球漫画『ROOKIES(ルーキーズ)』のような、サッカー経験ゼロのヤンキー達を集めてサッカー部を作り、強豪チームにするという体験をした岡野。そのエピソードを元に、ドラマ『激アツ!! ヤンキーサッカー部』(9月21日、28日放送)が放送される。主人公・岡野を演じるのは、人気若手俳優・竜星涼だ。


 ドラマ放送の前には、岡野が『全力坂』にて疾走。あの岡野が、なんと新幹線とまさかの勝負? 新幹線と並び、全力で疾走する姿は必見だ。


『激アツ!! ヤンキーサッカー部』地上波・テレビ朝日で放送! (※一部地域を除く)

▶︎前編:9月21日(金)よる11時15分〜

▶︎後編:9月28日(金)よる11時15分〜


“野人”岡野が『全力坂』で新幹線と対決!

――走るのは久しぶりでしたか?

岡野:いやぁ、久しぶりですよ! 特に坂道を全力でっていうのはなかなか……。定期的に開催している走り方教室「野人塾」やサッカースクール、日本代表のOB戦なんかではやっぱりダッシュを見せなきゃいけないんで、そういうときは走りますね。でも、スーツで走るのは初めてでした(笑)。


――放送が楽しみです。

岡野:僕も楽しみです。新幹線と走りましたからね。ギュイーンと一緒に。さすがに余裕で負けましたけど(笑)。


――新幹線と勝負しようと思う時点で、すでに超人です。足の速さに気がついたのはいつだったのでしょう。

岡野:小学校時代は速かったんです。でも、中学校・高校ではそれほど目立たなくて。大学で初めて人よりずいぶん速いことを知った。これは活かさない手はないと思って、より速く、試合に活かした走りができるようにトレーニングを重ねたんです。


――番組中でも映画化、漫画化といった話が出ていましたが、本当にドラマ化されるとは。

岡野:まさかドラマ化されるなんて、僕自身が驚いています。自分がいた高校がドラマ化されるって不思議な感じですね。今でも信じられないです。


――主演の岡野さん役を竜星涼さんが演じますね。

岡野:もう竜星涼くんがイケメンすぎて。それだけで話違うよねって。トガノ先輩と「これ大丈夫ですかね」って話になりました。なぜかうちの嫁がいちばん怒っていましたね。「全然違うじゃないの!」って。いや、怒られても(笑)。


――当時のトガノ先輩とは今でも交流が?

岡野:『激レアさん』に出て、名前を出したら、「トガノ建設」のWebサイトのサーバがパンクしちゃったらしくて。ドラマ化にあたって連絡したんです。


――岡野さんは当時、高校でスポーツクラスに入学したそうですね。サッカー部をつくり、必死に活動していく中で、進学クラスや、“ヤンキー”クラス、ひいては他のヤンキー高校からの目はどう変化しましたか?

岡野:かなり変わっていきましたね。僕たちの学校が試合に行くと、野次馬が集まってきちゃうんですよ。でも、テコンドーが得意な先輩が、たった一人で睨みを利かせると、みんないなくなっちゃって。


――ヤンキーと呼ばれる人たちと触れ合うことで、何か学んだことはありましたか?

岡野:戦うんだったら、自分たちよりも相手の方が多い人数で戦え、ですね。“理不尽”に立ち向かうという姿勢。そして弱いものには絶対手を出さない。高齢の方が歩いていて、その人に向かって唾を吐いているヤツを見て、飛んでいったこともあります。


「岡野さんの走りを見て自殺をやめました」“野人”岡野が走る理由

――そして大学に進んだ後、Jリーグへ。びっくりしたことはありましたか。

岡野:びっくりだらけです。「(自分で)いいの!?」っていうのが最初でした。テレビで見るような人がいっぱいいて、自分の知り合いは誰もいなかった。やっぱり最初は自分の実力が通用しないんですよ。「すげぇ世界に入っちゃったな」と思った。そういうときでも、高校時代のことを思うと、開き直って動けたんです。「もうやるしかない!」と。

がむしゃらにやり始めたら、ちょっとずつ試合にからむことができるようになってきて。いつの間にかレギュラーになっていた。


――「足を武器にしよう」と思ったのは、大学時代だとか。

岡野:そうです。足が速い選手の攻撃方法を研究したんです。あのとき、自分で研究していなかったら、Jリーグに入っていないと思います。

「武器がそれしかない」といった言い方を嫌に感じる人もいるかもしれないけど、僕は逆に追求していった。そうすると「スピードを活かすためにはパスもドリブルもうまくならなくちゃいけない」と気づく。できるものをもっとうまく活かそうと思ったら、いろいろやらなきゃいけないことが見えてくるんです。


――プロとして「これだけは負けない」というものはみんな持っていた?

岡野:個性豊かでしたね。「この人はすごいな」と尊敬できる選手はいっぱいいました。僕の場合は(所属していた)浦和レッズのサポーターがうわーって盛り上げてくれたんで、「やる(走る)しかない」と。

心の底からうれしかったのは、自殺しようと思っていた子から手紙をもらったことがあったんです。「一回くらいサッカーの試合を見てから死のうと思った。見に行ったとき、岡野さんが走る姿を見て、もう一回、自殺をやめて生きる勇気をもらいました」と。その後、講演会にも来てくれました。その他にも、病気だった人が僕の走りを見て「元気が出た」という話を聞いたとき、すごくうれしかった。もう僕はボールがなくても走ります(笑)。

僕が走るのはエンターテイメントでもあるんですよ。もちろん勝たなきゃいけないのですが、お客さんがお金を払って見に来てくれているのだから、僕は“野人”としてやらなきゃいけないときもあるんです。「バカじゃねえの」と言われても、諦めないで走る。


「ジョホールバルの歓喜」秘話 岡田監督の“飲み”誘いに選手全員不参加?

――高校時代、岡野さんはことあるごとに泣いていたそうですが、プロ入り後はあまり涙を見せていない印象があります。

岡野:高校時代に泣きすぎたんでしょうね(笑)。さすがに浦和レッズ退団のときはサポーターたちがコールしてくれて、そのときは涙が出ました。でも、ジョホールバルのときはまったく涙は出ませんでしたね。枯れちゃったんでしょうね。

ジョホールバル(※)で行った当時のイラン代表との戦いでは、ワールドカップに出られるかどうか、日本のサッカー界がある意味「つぶれるかもしれない」という地獄の中でやっていたときだった。いろいろなものが選手たち全員にのしかかっていたから、涙というよりも「これで日本に(顔を向けて)帰れる」というような喜びが大きかったですね。


(※)「ジョホールバルの歓喜」:1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルでサッカー日本代表が「1998 FIFAワールドカップ」フランス大会のアジア最終予選で、アジア第3代表決定戦にてイラン代表と戦い、勝利を収めた。これにより、日本はFIFAワールドカップ本戦初出場を決めた


――勝った瞬間はどんな雰囲気だったのでしょう。

岡野:勝った瞬間はわーっとなりましたが、その後の控室やバスの中はシーンとしていて。みんな下を向いて、ため息しか聞こえない。まるで負けたような感じだったことを覚えています。ホテルに着いて、(当時)監督だった岡田武史さんがねぎらいの言葉をかけてくれて、「飲もうぜ」って言ったのに、みんな部屋に帰っちゃって。「こんなに辛い思いをしたんだから、一回部屋に帰って、家族とか友達に電話します」みたいな。

その後、数人で部屋に集まった時に、平野孝が「ちょっと待って、そういえば俺たちワールドカップ行けるんだよね!?」と言って、それでようやく実感が湧いてきた。そこから廊下に飛び出して「うわあ~!」て騒いだのが、試合が終わってもう5時間か6時間経ったときのことでした。


――日本に帰国したときは、すごい盛り上がりだったのでは?

岡野:空港に着いたらすごい人がいて。そういうのが初めてだったので「ハリウッドスターとかいるんじゃないの?」なんていう話をしていたくらい。それから会見があって、その後は家にたどり着かないくらい人に囲まれて。人間不信になるくらい(周囲の扱いが)変わっていた。うれしい話でしたけど、最初のうちは嫌でしたね。

あの頃はワールドカップって日本でそれほど認知度が高くなかったから、あれで初めてそういうものがあると知った人もたくさんいた。(ジョホールバルで)僕を初めて知った人は、浦和レッズでの試合なんて見ていないんですよ。そういう人にとっては、僕は「Vゴールの岡野」になっちゃった。最初のうちはその「Vゴールの岡野」という言葉が邪魔でした。それまで日本のサッカー界を知らない人からしたら仕方ないですが、どうしてもあればっかりになってしまって。「岡野は途中から出したほうがいいんじゃないか」みたいな言われ方もされました。


――それが“抜けた”のはいつでしたか?

岡野:15年くらい経ってからですね。それまでは、ジョホールバルの試合映像を見るだけで震えていました。「絶対に負けられない、負けていたらどうなっているんだろう」というプレッシャーを思い出すのかもしれません。

15年くらいたったある日、小学生の娘が「歴史の本がほしい」と言ったので買ってあげたんです。そのあと、家に帰って読んでいた娘が「パパが出てるよ」と言うんです。最初、娘がクロマニョン人みたいなものを指して、僕のことを言っているのかと思ったんですよ(笑)。

「違う、パパが出ているんだよ」と言うから、見てみたら、サリン事件のあとに年表として載っていた。それで、あのとき選手がどんな思いで命をかけて戦っていたか、真実を話したほうがいいと思って。講演などで話すようになったんです。


――話していくうちにジョホールバルの試合を受け入れられるようになった。

岡野:講演会をきっかけに、やっと笑いを交えながらジョホールバルのことを話せるようになったんです。不思議なことに、ジョホールバルに出場した選手って、当時のことをあまり話さない人が多かった。辛かったんですよ。胃薬飲んでやっている選手もいました。唾を吐きかけられたり、家庭がある選手の家の前には(第三者から攻撃されないように)パトカーが停まっていたり、大変でしたよね。みんなギリギリだった。しかも、最初はボランティア。その後ボーナスは出ましたが、最初はみんなお金なんてもらってなかったんです。


何もしていない人の「どうせ無理だから」は勝手に言わせておけ

――岡野さんは、今はガイナーレ鳥取のGM(ゼネラルマネージャー)を務めています。

岡野:僕がGMを務めているガイナーレ鳥取は、今J3からJ2に昇格できるチャンスなんです。選手たちには自分自身のために好きなことに向かってがんばってほしいと思います。

とにかく、何事も好きにならないとうまくならないんですよ。辛いことはあるけど、それを乗り越えたときに楽しいことがあるから、サッカーを好きな人はそれを辞めないでほしい。他人のせいじゃなくて、敵は自分しかいないんです。


――サッカー選手になりたいと考えている人たちにメッセージがあれば。

岡野:好きなことを続けていくと、周りからはいろいろ言われるんですよ。「どうせ無理だから」って必ず言われる。でも、そういうことを言うのは、たいてい自分は何もしていない人。だから「何であんたに言われなきゃいけないの?」という強い気持ちでいればいい。勝手に言わせておけばいいんです。

やるのは自分しかいないんです。好きなら一生懸命やればいい。そうやってやっていれば、必ず手を差し伸べてくれたりする人が出てきたり、仲間ができたりするものです。



* * *

 他人のせいにせず、自分が好きなもの、信じることを一途に追いかけるブレない姿勢は「高校時代があったからこそ」と話す岡野。どんな高校生活だったのか、ドラマ『激アツ!! ヤンキーサッカー部』は、9月21日・28日の2週連続で放送されるほか、AbemaTVでも地上波放送直後の9月23日、30日に限定特別編を放送。こちらでは地上波版では放送されない、野人・岡野が高校で味わった衝撃の屈辱シーンや、感動クランクアップ秘蔵映像、さらにドラマのネタ元になった『激レアさんを連れてきた。』岡野雅行放送回を、“地上波未放送部分”も含めた蔵出しスペシャル版&ハイブリッド編成で堪能できる。


『激アツ!! ヤンキーサッカー部』地上波・テレビ朝日で放送!(※一部地域を除く)

▶︎前編:9月21日(金)よる11時15分〜

▶︎後編:9月28日(金)よる11時15分〜

AbemaTVの特別編もおたのしみに!


AbemaTV『激アツ!!ヤンキーサッカー部 前編/アベマ限定 岡野高校時代の屈辱シーン公開』9月23日(日)よる11時~

(※見逃し防止は番組表から「通知を受け取る」がオススメです)

AbemaTV『激アツ!!ヤンキーサッカー部 完結編/アベマ限定 感動クランクアップ秘蔵映像公開』9月30日(日)よる11時〜

(※見逃し防止は番組表から「通知を受け取る」がオススメです)

(C)テレビ朝日 (C)AbemaTV

《AbemaTIMES》

≪PR≫
>ふるさと納税で食費を節約!食費毎月2万5千円の我が家が教える"おすすめ返礼品"

特集

page top