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ブログで杉田議員を批判 ロバート キャンベル氏と考える、LGBTと日本社会

 「私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た」 自民党の杉田水脈衆議院議員が"LGBTは生産性がない"と月刊誌に寄稿したことに対し批判が集まる中、12日、国文学研究資料館館長でテレビのコメンテーターとしても知られるロバート キャンベル氏が自…

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ブログで杉田議員を批判 ロバート キャンベル氏と考える、LGBTと日本社会

 「私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た」


 自民党の杉田水脈衆議院議員が"LGBTは生産性がない"と月刊誌に寄稿したことに対し批判が集まる中、12日、国文学研究資料館館長でテレビのコメンテーターとしても知られるロバート キャンベル氏が自身のブログで同性愛者であることを公表。自らの経験を踏まえて杉田氏の意見に異を唱えた。

 キャンベル氏はブログで「『男(女)の子らしくないぞ』と教室でいじめられ、社会に出れば愛する人の性が違うからといって就職に失敗し、いっしょに部屋を借りたり、ローンを組んで家を建てようものなら門前払いを食らってしまう人は、この国にごまんといます」と指摘、「積極的に排除はしないが『触れてほしくない』が日本の常識で『美風』であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます」と訴えた。


 世界では同性婚やLGBTの権利が認められる傾向にあり、アメリカでも30以上の州、そしてイギリス・フランス・ドイツなど20か国以上で同性婚が合法とされている。日本でも渋谷区や世田谷区などの自治体レベルで同性パートナーシップが認められ、住宅契約や病院での面会などで、血縁や婚姻と同等の待遇が得られやすくなっている。しかし、差別や偏見はまだまだ残ったままだ。


 16日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、キャンベル氏をスタジオに招き、話を聞いた。


 親戚や友人だけでなく、同僚、学生に対しては自身の性的指向についても伝えてきたというキャンベル氏は、これまで「職場や生活の場において差別を受けたり怖い思いをしたりすることはなかった」という。「しかし、私は非常に特殊な立場にあった。つまり日本人ではなく白人の男性。そして研究者として大学という特殊な空間の中で仕事を続けてきたので、潜在的に理解者がいたということになる。しかし私の現実と、見聞きした現実は違う。例えばLGBTであるがゆえに、相続の問題、配偶者控除の問題など、多くの仕組みが人々のポテンシャルを抑えているということも年々感じてきた。そういうことに対する思いも確かにあったが、パブリックな言論空間では、あえて自分がLGBTであることは言わなくても良いと思っていた」。


 今回、カミングアウトに踏み切ったことについては、「自分の思いを伝えるためには、まず立場を明らかにしないといけないと思った。後悔はしていない」とし、「自分のことだけではないから」と、公開にあたってはパートナーと1時間ほど話し合ったことも明かした。

 「寝る直前に公開して、そのあとは熟睡した。実際にはそれくらいで、大きなことではなかった。私としては、カミングアウトが目的ではなかったが、数々のメディアで政治家への批判よりもゲイだったということが先に取りあげられていたことへの違和感はあった。ただ、歩いていると呼び止めら"握手をしてください"と言われることもあった。皆さんから寄せられたコメントを見ていると、杉田氏への批判だけでなく、カミングアウトしたことそのものがLGBTだけでなく、多くの人達に勇気を与えるんだということに気づかされた。今回の発言で私が失うものは何もないが、考えてみればそれ自体も特別なこと。1980年代、日本でエイズが"ネタ"として話されていた酷い時代だったら、自分の立場は無くなっていたかもかもしれないと考えている」。

 キャンベル氏の話を受け、ふかわりょうは「LGBTへの認識は日本でも広まってきているが、日本のテレビにおいては"オネエ"や"ニューハーフ"として、笑いの対象だった時代が続いてきた。それらが先入観を生み、偏見の助長させてきた面もあったと思う。一方でLGBTの方々だからこその発言が期待されてきた部分もあると思うし、それによって活躍されている方がいるということと表裏一体だと思う。一切の特別視をやめ、あらゆる表現を無くしてしまうことでの問題はないのだろうか」と疑問を呈した。

 キャンベル氏は「"オネエ"という言葉を使って全ての人を一つの箱の中に入れてほしくないとは思うが、それも一つの表現だと思う。ヘイトスピーチでなければ、電波であろうと何であろうと、自由な表現がなされることが大切だ。今、欧米では性的少数者を"クィア"と表現するが、この言葉はもともと、日本語で言えば"オカマ"のような蔑称だった。それをLGBTの人たちがあえて自分たちの間で使い、増幅させることによって無力化し、"クィア・スタディーズ"や"クィア理論"として一般名詞化させた。"オネエ"などの言葉もそのようになる空間があればいいと思うが、日本ではテレビ以外のところで相対化させたり、違う意味を付与させられる空間が広がりを持っていない」と指摘した。

 「リディラバ」代表の安部敏樹氏は、日本では欧米に比べ、当事者や研究者からの社会への働きかけが少ないのではないかとの疑問が出されると、キャンべル氏は「古典文学の研究者としては、日本は排除はしないけれども攻撃もしない社会で、触れてほしくない、静かにしていたい、という人も生きていける社会だと思う。これは良い面もあるし、文化・資質として否定するべきではないので、日本が未成熟だとは言いたくない。ただ、これだけ情報化して色々なことができるようになったのに、静かにしていることが美徳とされるあまり、ひとりひとりのポテンシャルが抑えられているとも思う。少子高齢化社会の中で、これこそまさに"生産性"の問題だということを見据えた方がいいのではないか」とコメントした。

 テレビ朝日の小松靖アナウンサーは「この問題の難しさというのは、自分のことを明らかにできないために、声すら挙げられない人がいること。そういう人たちの声も同様に重みを持っているはず。さらに、"精神的にも制度的にも問題なく生きていけるんだから、波風を立てないでほしい"という意見の人もいるということ。声を上げない限り変革は起きないが、声を上げられないのはそれを強いられているからでもあるという、まさに鶏と卵の話になってしまう。結果的に杉田さんの発言が議論の機会にもなったとも言えるが、ただ人々が分断されただけ、という結末になるのを危惧する」との見方を示した。

 キャンベル氏は「保守・革新などと二項対立の問題にしてしまうと、議論が減速し、袋小路に入ってしまう。本来この問題は自己決定の話であり、社会の中で皆がフェアに、助け合いながら生きられるための問題なので、右も左も関係なく、冷静に考えられなければならない。そして立法が関わる以上、最後は政治家に動いてもらわなければならないことでもある。性的少数者の実態調査が日本ではきちんとなされておらず、憶測や個人の経験に基づいて議論されることが多い」と指摘、「強気にデモをするよりも静かにここにいる、ということを大事にしている人もいるので、それも尊重すべきだ。客観的に理解することと同時に、自分の生活の範囲内にそのような人たちとの接点があることがとても大切だと思う。"エレベーターで会った時にちゃんと挨拶してくれるよね"、"ちゃんとゴミを片付けてくれる人だよね"、というような部分から理解は進む。広げるのではなく、広がっていくというのが大切だ」と話した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)


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《AbemaTIMES》

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