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原発PR看板撤去 震災遺構のいまは?

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震災から4年9ヶ月が過ぎましたが、東日本大震災の傷跡を残す「震災遺構」を今後も残していくのかが話題になっています。原発事故を起こした東京電力福島第一原発(1F)の立地町である福島県双葉町にある原発推進のPR看板の撤去作業が21日から始まることが決まりました。撤
震災から4年9ヶ月が過ぎましたが、東日本大震災の傷跡を残す「震災遺構」を今後も残していくのかが話題になっています。原発事故を起こした東京電力福島第一原発(1F)の立地町である福島県双葉町にある原発推進のPR看板の撤去作業が21日から始まることが決まりました。撤去後は町は保管し、展示することも検討しています。

原発推進のPR看板は、国道6号線沿いにある町体育館前にある。「原子力 明るい未来の エネルギー」と「原子力 正しい理解で 豊かなくらし」と書かれています。私がこの看板を見たのは震災の年でした。一時帰宅をしている地元住民と同行し、取材をしている途中で見かけました。初めて見たときには、「豊かなくらし」があるはずだった「明るい未来」は、そこにはなく、人が住めない地域になってしまった、と思ったものです。

また、役場入り口にも、「原子力 郷土の発展 豊かな未来」「原子力 豊かな社会と まちづくり」という標語が入っている看板があります。町によると、こちらの撤去作業は、年明けになる予定となっています。

21日から撤去作業が始まる看板は、1Fから約4キロの位置にあります。周辺には、震災の本震や余震などの影響でしょうか、崩れている家々がある。なかには、本震の発生時間である「14時46分」で止まったままの時計があります。あの日から、町民は避難を開始したため、町はそのときから止まったままになっています。

「原子力 明るい未来の エネルギー」の標語を考えたのは、大沼勇治さんです。現在は避難先の茨城県古河市に住んでいます。1988年3月、小学6生だった大沼さんは学校の宿題で標語を作りました。原発とともに生きることを選択した双葉町ですが、大沼さんの母親は「あんなものが近くにあって大丈夫なのか?」と言っていたといいますが、そんなことが言えない空気でもあったといいます。

いまその看板の横にあるパネルには以下の詩が載せられています。大沼さんが震災後3年目につくった詩です。「明るい」ではなく「破壊」という文字を掲げた大沼さんが立っている写真とともにあります。


新たな未来へ
双葉の悲しい青空よ
かつて町は原発と共に「明るい」未来を信じた
少年の頃の僕へ その未来は「明るい」を「破戒」に
ああ、原発事故さえ無ければ
時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ
震災前の記憶 双葉に来ると蘇る 懐かしい
いつか子供と見上げる双葉の青空よ
その空は明るい青空に

震災3年 大沼勇治


大沼さんは看板の撤去を決めた町の方針の撤回を求める署名活動をしました。しかし、結局、撤去方針は覆りませんでした。ただ、町は看板を保管して、展示をする検討をしているといいます。

一方、岩手県大槌町でも、震災遺構として残してきた旧町役場庁舎の解体をすると、平野公三町長が主張しています。旧役場庁舎では、当時の町長ら40人が犠牲となっている場所です。

旧庁舎については、当初から「保存」か?「解体」か?という議論がありました。「震災遺構」を教訓として残すのかどうかは難しい議論があります。とくに、人が亡くなった建物を残すことは「遺族感情」を考えて、壊すべきとの意見もあります。そうした意見をもとに犠牲者がいた建物を解体方針をしたのは陸前高田市でした。そのため、同市で現在も残っている建物は、犠牲者がなかったものだけです。

大槌町では「旧庁舎解体」を主張する平野町長が当選しました。11月の全員協議会で平野町長が解体方針を示しました。「形がなくても、震災の実情は伝えていける」と説明したのです。しかし、一度、一部保存を決めた町議会の中から反発がありました。

4日には、大槌高校の生徒でつくる復興研究会が町長に対して、「旧役場庁舎の取り扱いの早期決定回避についての要望書」を提出しました。「大槌の将来を背負う高校生として、十分な議論と提案の時間が欲しい」としています(岩手日報WebNews 12月3日付)。しかし、平野町長は「思いを受け止めなければならない」」としながらも、方針を変わらないとしています。ただし、15日の町議会で、年度内解体を断念する意向を表明しました。

私は何度もこの旧庁舎を見ています。周辺が復興工事で変わっていく中で、当時の様子を形で伝えるものは、町内では旧庁舎くらいになっています。あの場所にあるからこそ、震災を忘れないとの思いを抱きます。被災地の視察や観光としても、必ずといっていいほど、訪れるポイントでもあります。。これは宮城県南三陸町の防災庁舎と同じです。残っているからこそ、人が訪れる理由になっているのです。

現在も議論されている「震災遺構」には宮城県石巻市の大川小学校の校舎と、門脇小学校の校舎があります。大川小は児童74人、教員10人が亡くなりました。その教訓を伝えるために残すかどうか問われています。門脇小は、火災に遭いながらも、児童の犠牲はなかった校舎です。ただし、周辺では犠牲者もおり、周辺住民としては複雑な心境だということです。どちらの語り続く価値がある内容ですが、その手段として残すのかどうかが議論されています。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中
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