匿名発表だと追悼できないのか | NewsCafe

匿名発表だと追悼できないのか

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相模原市の知的障害者施設、神奈川県立「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、26人が負傷した事件から4週間が経ちました。依然として、様々な論点で議論がされていますが、被害者が匿名発表だったことで違和感があるというような言説を耳にします。被害者が匿名だと追悼ができないという意見まであります。どう考えるべきでしょうか。

 今回、神奈川県警が匿名発表をする理由は、事件が起きたのは知的障害者の施設で、プライバシーを保護する必要性が高かったこと、遺族からいずれも匿名を希望する意向が示されたこと、でした。

 警察が被害者を匿名発表する場合、統一の基準がありません。たとえば、被害者が子どもの場合でも事件の性格によっては実名か匿名か分かれます。すべての事件で適用される基準ではありません。それは知的障害者の場合でも、事件によって変わってくるでしょう。今回、神奈川県警記者クラブは8日、「発表は実名が原則で、報道機関の責任で実名か匿名か判断する」との立場を再確認し、匿名発表が「前例」にならないように申し入れている。

 警察がマスコミに対して発表する事項は、法的には、マスコミ側の権利という性格ではなく、警察側のサービスとして行われている、との判例があります。つまり、国民の側の「知る権利」に基づいていない、ということになります。それでも、マスコミが情報を得ようとするのは、例えば、「誰が逮捕された世の中は怖い」「実名発表することで警察を監視する」「逮捕された容疑者が、誤認逮捕ではないのか」などが理由としてあげられています。そのせめぎ合いの上に成り立っています。

 神奈川県警が被害者の名前を発表しなかったことについて、例えば、朝日新聞WEB版(8月18日)で、脳性まひの弟(39)がいるという弁護士の佐藤倫子さん(41)が、の意見を紹介しています。

 「実名が公表されなかったことで、被害者の人生の最後が無かったことになり、『悼まれる機会』が失われてしまった。他の殺人事件の被害者と何ら違わないのに」

 一方、6日に東大先端技術研究センター(駒場)で行われた追悼集会で、入所していた弟を亡くした姉のメッセージが読み上げられた。「この国は優生思想的な風潮が根強くあり、すべての命は存在するだけで価値があるということが当たり前ではないので、とても公表することができません」「今はただ静かに冥福を祈りたいです」との思いを明かした。

 私としては、事件の関係者についての警察発表は原則として実名で行われるべきだと思います。現在、警察段階で匿名発表になる容疑者の匿名発表は、少年か、精神障害者で、責任能力が疑われる場合です。それ以外は、実名となります原則として警察発表段階では、被害者を実名発表をすべきだと思いす。

 実際に実名として記事を発表するかどうかは、新聞社の判断によるものでよいのではないかと思っています。新聞社によっては、紙面では実名だが、ウェブ版では匿名というように、発表の内容が紙とウェブ版で違ってもよいと思っています。それぞれメディアが主体的に判断すべき問題だと思っています。

 事件に関する情報は、本来は、必要だと考えた国民が共有すべものだと思っています。その意味で、情報公開の対象になるべきこ事項です。しかし、現在の情報公開制度では、誰かが逮捕されたという情報をリアルタイムで請求したとしても、判断は後回しです。また、公開されても、プライバシーを理由に名前が黒塗りになることが予想されます。事件情報は、記者クラブに属する社が独占しているのが現状です。

 事件に関する情報の流れや、警察が配慮するものを考えると、今回の被害者が匿名発表にならざるを得ないのは仕方がないことだったのかもしれません。だからといって、匿名だとしても、「被害者の人生がないこと」にはなりません。

 私は、事件の犠牲者が匿名であっても、追悼はできると思います。亡くなった人たちがどんな人かを知らなくても、数々の追悼行事は成り立っています。たとえば、2008年の秋葉原事件でも被害者を具体的に知らない人でも、事件現場を訪れ、追悼をしていました。また、8月15日の戦没者追悼式でも、3月11日の東日本大震災の追悼式でも同じことが言えます。

 匿名発表だとしても、どんな人がいたのかを共有する方法を模索することができるのではないかと思っています。たとえば、マスコミができることとしては、匿名条件でもよいから関係者の証言をとることです。毎日新聞WEB版(8月2日)では、一時期は意識不明だったは、意識を取り戻した入所者の家族が実名で答えています。当初は匿名を条件に取材に応じていましたが、取材を重ねることによって、実名での取材となったのです。

 被害者の匿名発表の是非と、匿名発表で追悼ができるのかどうかは別の問題ではないかと思うのです。
[執筆者:渋井哲也]
《NewsCafeコラム》
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