ダライ・ラマ14世が被災地訪問「未来を切り開いて」 | NewsCafe

ダライ・ラマ14世が被災地訪問「未来を切り開いて」

社会 ニュース

チベット仏教の最高指導者で、ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世が来日し、東日本大震災の被災地(宮城県仙台市、石巻市)を訪問しました。
ダライ・ラマ14世は被災者と「痛みと苦しみ」を分かち合うとともに、「未来を切り開いて行けると信じている」とのメッセージを残しました。

ダライ・ラマ14世は4日、石巻市門脇町の西光寺を訪問。付近には、校舎が津波で被災したばかりでなく、火災も発生した門脇小学校があります。また、病院機能が停止した石巻市立病院もあります。

私がここを最初に訪れた時には瓦礫の山で、至る所に車の残骸がありました。現在は、そうした瓦礫はほとんどなく、何もない土地になっています。信号は復活し、道路も修復されてきています。それでもなお、震災の爪痕は残されています。津波の被害にあった家がそのまま残されていたりします。

こうした風景をダライ・ラマ14世は車の中からですが、視察しました。西光寺での話で、14世はこう話していました。

「車の運転手さんに『津波はどのへんまで到達したのか?、どこまで高かったのか?』を聞いた。当時の様子を聞くと、『さぞかに大変な思いをしただろう』と思った。ここに着いて、みなさんの顔を見た時に、それを本当に悲しく感じた」

そしてその悲しみがどれだけ深かったのかを印象づける言葉がありました。

「私の人生でとても辛かった出来事を皆様と分かち合いたいと思います。1959年3月17日のチベット・ラサでの出来事です。中国の軍隊にすべて取り囲まれてしまい、もうどうしようもない困難な事態に追い込まれてしまった。そのため、ここから逃げなければならないという決断を迫られた。多くの友人たちと離れて、脱出しなければならなかった。それによって、何千人ものチベット人が中国軍に殺されてしまいました。私の大切な方々も尊い命を落とされてしまいました。非常に辛い体験でした。非常に悲しい思いをしました」

ダライ・ラマ14世がチベットの独立運動の体験について語るのは、珍しいことだそうです。文章では見かけますが、口にすることはほとんどないというのです。20年間、ダライ・ラマ14世を追い続けている女性は、講話などでは聞いたことがないと言っていました。それだけの深い悲しみを感じたことが想像できます。

また、ダライ・ラマ14世はどんな人でも平等に、または公平に扱おうとしている様子もうかがえます。熱心な信者が近くに寄ってきても、特別な警戒をせずに、どんな人であっても近づいて握手したり、抱擁を交わしていました。

5日の仙台市宮城野区の孝勝寺での講演でも、「どんな宗教でも対話が必要だ」との主旨を繰り返していました。どんな質問でもきちんと答えていました。例えば、震災で家族を亡くした人から「亡くなった後にいただく戒名は、お金で偉いかどうかが決まるのか」との質問がありました。ダライ・ラマ14世は「お金で徳が積まれるわけではない」と話し、会場からは笑いが聞こえました。

もちろん、中国とチベットとの関係もあり、言えないこともたくさんあります。7日の自由報道協会主催の記者会で、ジャーナリストの重信メイさんが「パレスチナの国連加盟問題」について聞いたとき、「ノーコメント。大きな力が働いている。複雑な問題だ」としか言えませんでした。ダライ・ラマ14世とアメリカとの関係もあるため、気を遣ったとも言えるでしょう。

私としては、今回の来日で、最も印象的なシーンは、石巻市の西光寺での出来事でした。法山寺幼稚園の園児2人と抱擁を交わしたところです。幼稚園の関係者にによると、その2人とも震災で親を亡くしたといいます。「震災当初はあまり感じていなかったが、最近になって親がいないことを悲しく思っている」ということでした。

2人の園児にどのくらいの気持ちが伝わったのかはわかりません。将来にわたって、この経験がどのように生かされるのかも未知数です。しかし、この2人だけでなく、震災遺児、または、大切な人を亡くした人たちに対して、ダライ・ラマ14世の「分かち合い」が共有されれば、と願ってやみません。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://foomii.com/mobile/00022)を配信中]
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