震災から半年経った大川小学校~あの日、何が起こったのか~ | NewsCafe

震災から半年経った大川小学校~あの日、何が起こったのか~

社会 ニュース

3月11日に発生した東日本大震災から半年の9月11日。
私は、宮城県石巻市や女川町へ取材に訪れました。地震が起きた午後2時46分には、多くの子どもたちが犠牲になった石巻市立大川小学校前に建てられた慰霊碑近くにいました。まだ子どもの遺体が見つからない遺族もおり、周囲を探しているようです。

大川小は、平成の大合併により石巻市となった旧桃生郡河北町にあり、追波湾に流れ出る北上川の河口から約5キロのところに位置しています。
3月11日に発生した地震に伴う大津波によって午後3時36分ごろ、校庭に避難していた児童108人中70人が死亡。4人が行方不明となりました。教職員も13人中、9人が死亡、1人が行方不明です。

震災直後、私が話を聞いた1人に、大川小に孫が通っていたという女性がいました。買ってもらったばかりの新車で高校卒業間近の姉が迎えに行き、姉妹二人とも犠牲になったということでした。遺体が発見された場所を考えると、二人は出会っていないそうです。

震災直後は、まだ小学校で何があったのかはほとんど分かっていない段階でしたが、現在は、教委の調査で徐々に真相が明らかになりつつあります。

小学校前には慰霊碑が建てられ、祭壇には多くの花が供えられています。9月11日にも、多くの人が訪れていました。
マスコミもたくさん訪れるかと思っていましたが、テレビ局が一社、新聞も数社だけ。半年という節目ではありますが、報道の量が減ってきていることの象徴ではないかと思いました。

そこには、東京から来たという家族連れもいました。
母親は「2回目の参拝です。小学2年生になる娘に『日本でもこういうことがあったんだよ』と伝えたかった。娘も何かを感じていると思います」と話していました。

また、大川小学校の周辺に母親が住んでいたという石巻市内の女性の姿も。彼女は「震災発生のとき、母と連絡が取れませんでした。亡くなったと思い、ずっと遺体を探していました。4月23日に遺体が発見されました。半年経って、ようやく実感が持てました。悲しいですよね」と述べていました。

そんな中で、「まだ子どもの遺体が見つかっていない」という母親も訪れていました。車から長靴を取り出しては、「きょうは別の場所に(探しに)行きます」と話していました。保護者らとは話していましたが、報道陣を避けるかのように、遺体を探しにその場を立ち去りました。

小学校前で黙祷が捧げられた地震発生時。この場所は様々な思いが交錯する場所になっています。ただ、やはり、子どもを亡くした家族の思いは言葉に表現しようがありません。

その時間に小学校前にいなくても、子どもを亡くした思いは一緒。小学校から河口付近に進むと、長面浦があります。周辺の長面地区や尾崎地区はいまだに冠水しています。尾崎地区には3ヶ月前にようやく戻れるようになりました。この地域でも犠牲になった子どもたちがいます。家の片付けに来ていた男性(70代)がいましたが、お孫さんもまだ遺体が発見されないようです。

9月11日は各地で追悼イベントがありました。私は半年目の節目をここで迎えようと決めていました。大川小を十分に取材していたわけではありません。ただ、子どもたちが犠牲になり、学校現場の判断や防災のあり方を考えさせられる場だったことから、「ここで半年目を迎える」と思っていたのです。同時に、この小学校で何があったのかをもう一度、考えたかったというのもあります。

まだ、この小学校のことは十分に検証されていないと私は思っています。
遺族は最後の姿を知りたいと思っていますし、どうして犠牲にならなければいけなかったのかとも考えていたりします。

大川小を含めて、亡くなった人たちの物語、助かった人たちの物語が数多くあります。私はできるだけ多くの物語を聞き取っていこうと思っています。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://foomii.com/mobile/00022)を配信中]
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