鎮魂の8月 | NewsCafe

鎮魂の8月

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今年は「太平洋戦争」が終ってから66年。

開戦は昭和16年(1941年)の12月…戦争は4年間続いた。開戦からだと70年の節目である。開戦の年生まれが「70才」だから、コラムを読んでいる多くの人は影も形も無かったと言えるだろう。

年々、太平洋戦争や原爆の記憶がある人は少なくなり、歴史の記憶は風化しつつある。少し教科書的ではあるが太平洋戦争を整理してみよう。

太平洋戦争で死んだ日本の軍関係者は(当時日本であった朝鮮・台湾の人5万人を含み)230万人、民間人の犠牲者は80万人と言われる。中国本土での日本人の死者は47万人・フィリピンでは52万人・日本本土では70万人・唯一の国内戦と言われる沖縄では19万人。
あの太平洋戦争の最後の年・昭和20年(1945年)3月~5月にかけては世紀の大虐殺といわれる"東京大空襲"があった、一説では10万人と言われる人が死に、同じく3月~5月の沖縄戦では日本人の死者は19万人(軍人等:95000人・民間人:95000人)、そして8月6日の広島の原爆投下での死者は14万人、8月9日の長崎の原爆投下では7万人が亡くなったという。ついに日本は8月15日に「無条件降伏」をし、300万人を超す死者を出して太平洋戦争は終った。

8月は日本人にとって鎮魂の月であり、多くの犠牲者に思いをはせる時間だ。
その後、日本は「戦争犯罪人の処断・財閥解体・農地解放」という荒療治を経て、朝鮮戦争という特需でよみがえり、国連への復帰、東京オリンピックを経て、世界の一流国へと駆け上ったのである。敗戦からの回復を知る古老は「国敗れて山河あり・死んだ人のためにも頑張って新しい日本を作らなければ申し訳ない」と国民全てが思っていたという。また天皇陛下があまねく全国を回り、国民を励ましたのも大きかった、という。

未曽有の災害となった「3.11」から、早くも5ヶ月がたつ。この震災で亡くなった方、行方不明の2万人弱の遺族の方にも「新盆」が訪れた。今年の8月には新たな鎮魂の意味が加わったと言えるだろう。この震災を1000年に一度の「大震災」とするならば、まさにこの状況は終戦後の日本と同じである。

現状を見ると、政治は政争にうつつを抜かし、被災者を置き去りの感がする。最近ようやく「国には任せておれない」と、地元発の復興プランが動きだしたのは、まさに"自立"の現れ。また思い付き・乱立で作られた観のある「○○会議」の類には入っていない碩学と言われる人が言葉を発し始めている。

その一人が、新聞で、被災地の現状を「山河敗れて国あり」と表現しているが、まさに被災地を忘れた政治の状況を表していると思う。日本人の好きな言葉に「古きを尋ねて新しきを知る」があるが、鎮魂の8月は心静かに、過ぎし日に思いを巡らしたいものである。

[気になる記事から時代のキーワードを読む/ライター 井上信一郎]
《NewsCafeコラム》
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