同性結婚を考える~異性、同姓、そして両性の世界~ | NewsCafe

同性結婚を考える~異性、同姓、そして両性の世界~

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ニューヨーク州で同性同士の結婚が合法化されました。同性婚を認めたのは、アメリカ国内では、バーモント、ニュー・ハンプシャー、コネティカット、マサチューセッツ、アイオワ、ワシントンD.Cに続き、6番目の州。世界では、デンマーク、オランダ、ベルギー、カナダなどで認められています。

日本では、憲法24条によって「両性の合意のみに基づいて」とあり、同性同士の結婚は認められていません。ただし、戸籍上性別変更を行えば、事実上、同性婚はできます。性別の変更ができる要件は「性同一性障害の性別の取扱の特例に関する法律」によって定められています。

この法律でいう「性同一性障害」は、「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているもの」。

「性同一性障害」は、つまり、生物学的な性=生まれながらの身体的な意味での性別と、心理的な性=感じている性別とが違っている場合で、それが社会生活を営む上で何らかの不都合が生じる場合を言います。

その上で、戸籍上の性別を変更するには、20歳以上、未婚、未成年の子どもがいない、生殖腺がないまたは生殖線の機能が永久に欠くこと、身体について、他の性別に関わる身体の性器に係る部分に近似する外観を備えている、といったことが条件となります。

つまり、性同一性障害によって性別を変更すれば、生物学的な意味での「同性婚」はできるようになっています。

人間のセクシャリティについては、生物学的な性、性認知、性志向と3つの側面で語られます。例えば、私の場合、生物学的には「男性」です。また、認知としても「男性」」です。性志向は「女性」です。つまり「異性愛」です。しかし、ある友人は、生物学的には「男性」で、認知は「女性」、性志向は「男性」といったセクシャリティを持っています。この場合、生物学的な性を中心でみると「同性愛」ですが、認知を中心でみると「異性愛」となりますが、こうした場合、大半は認知を中心にみるようです。そのため、「異性愛」となります。

同性婚が認められるべきかどうか、について、NewsCafeでも様々な投稿がありました。賛成派の意見で目立った意見は、「好き」という感情があればいい、というものでしょう。では、結婚する上で、「好き」という感情はどのくらい必要なのでしょうか。

たしかに、生理的に好きではない、といった場合、結婚には至らないことが多いでしょう。しかし、「好き」という感情は、結婚を継続する絶対条件ではありません。もちろん、「好き」が継続したほうが、快適な結婚生活を送ることができるかもしれません。とはいっても、「好き」という感情は、曖昧なものでもありますし、「好き」という感情がないからといって、即、離婚することはありません。

一方、反対派の意見では、「籍を入れずとも、パートナーとして付き合えばよい」というものがありました。たしかに、そうした考えもあるでしょう。しかし、それは、同性婚に限りません。異性婚にも同じ事が言えます。子どもを作ることが結婚制度の前提との意見もありましたが、それは結婚する者同士の価値観であり、子どもを作ることを強制されるものではありません。

私が感じている最大の問題は、パートナーとして同棲をしていたとしても、どちらかが亡くなった場合、相続権がありません。聞いた話ですが、マンションを出なければいけないといった問題や、愛する人の葬儀の喪主になれないケースがでてきています。そうしたケースの多くは、遺族が世間体を気にしています。

また、日本では、カップルや夫婦は「異性」である前提があるために、「同性」同士のカップルによるドメスティック・バイオレンスが認められにくいという話も聞きました。2010年8月に、同性のパートナーからの家庭内暴力をDVと認められたことがありました。画期的な判決ですが、窓口レベルでは対応がしきれないと、ある当事者が言っていました。

人のセクシャリティは様々です。最近では「中間性」という考えもあるようです。ある男性(生物学的な意味で)は、女装を常にしています。女装をする趣味のある男性を最近では「女装子(じょそこ)」、あるいは、「男の娘(おとこのこ)」と呼んだりしています。また、その女装を日常にしている人を「フルタイム女装」、例えば日曜日にしかしない人を「パートタイム女装」と言ったりもします。その男性の認知は「中間性」。性別に囚われた生き方をしたくないと言います。性志向は「両性」であり、恋愛対象も「好きな人」であれば、性別には関係ありません。

セクシャリティのあり方は、その社会によって変化します。そのため、日本の大多数が、この男性のような「中間性」にならないでしょうし、同性婚をするような、「現在の日本文化状況」ではありません。実際に、同性婚が認められたとしても、大多数がそこに流れるわけではありません。

性的なマイノリティの人たちは、その性認知を自由に選んでいる。そのため、生きやすいのではないか、といったイメージがありませんか?

しかし、厚生労働省のエイズ対策研究事業「男性同性間のHIV感染対策とその評価に関する研究」によると、「自殺念虜」の経験では、全体として65.9%と高い割合になっています。一方、内閣府の「自殺対策に関する意識調査」では、「自殺を考えたことがある」は19.1(男性は16.3)%でした。単純比較はできませんが、男性同性愛者は3倍以上も、自殺を考えたことがあるのです。「性別を選んだ」=「生きやすい」ではないのです。

また、「ホモ、おかま」といった言葉でのいじめ経験や、女性との性体験、親にカムアウトをする、といったことがさらに自殺未遂のリスクを高めているようです。

理解者を増やせばいい。そう考えるかもしれません。そのため、男性同性愛者も同じ事を考えているようです。しかし、カムアウトした人数が増えると、かえって、自殺未遂のリスクを高めています。なぜなら、カムアウトする人数が増えるということは、理解されない人との接触のリスクを生みます.私はこのデータを見る前までは、カムアウトすれば生きやすくなるのではないか、と思っていたのですが、間違いでした。

いずれにせよ、性的マイノリティをどのように受け入れるかが私たちに問われているのです。その一つに、同性婚を認めるかどうか、といった婚姻制度があるように思うのです。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://foomii.com/mobile/00022)を配信中]
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