[第5回]浜崎あゆみ結婚(後半) あゆも「生きづらさ系」だった | NewsCafe

[第5回]浜崎あゆみ結婚(後半) あゆも「生きづらさ系」だった

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「絶望三部作」以外でも浜崎あゆみは「生きづらさ」のメッセージを散りばめていました。

今でこそ「居場所」という言葉が当たり前のように使われています。

「A SONG FOR XX」で

「居場所がなかった/見つからなかった/未来には期待出来るのか分からずに」

という詩を書いています。

「居場所がない」という感覚は、私の取材では「よい子」(親の期待に沿って、良い子を演じている)ほど感じていたのです。

「いつも強い子だねって/言われ続けていた」

という歌詞に、当事者の子どもたちは共鳴していました。



私はネット・コミュニケーションやネット恋愛も取材しています。その一部は『ウェブ恋愛』(ちくま新書、2006年10月)でも発表しました。

ウェブ恋愛は1)きっかけも、プロセスもウェブ、2)きっかけはウェブで、プロセスは対面コミュニケーション、3)きっかけは対面コミュニケーション、プロセスはウェブといったパターンがあります。

なかには、一度も会わないのに「付き合っている」人もいて、互いに恋愛感情があると言います。

そして、私の取材では、ネット恋愛は、「生きづらさ」を感じている人との親和性があったのです。



メールやチャットのコミュニケーションは活字中心です。

もちろん、最近では絵文字、顔文字、写真、ボイスメッセージなどを添付できます。

しかし、今なお、活字の影響力があるようです。

ある言葉がどのような意味なのか想像したり、どんなタイミングで来たのかを考えることで、その意味を想像したりします。

処女作『アノニマス ネットを匿名で漂う人々』(情報センター出版局、2001年10月)の中で、私は

「浜崎あゆみは生きづらさ系だった」

と書きました。

浜崎の心には「自分を見つけてほしい」という感情が渦巻いていました。

浜崎は「歌手・浜崎あゆみ」というメディアを使って、自己表現し、コミュニケーションをしていた。

まさに、生きづらさを感じる人たちが、自分を知ってほしいという欲求の中で、ブログを書く人が当時から多かったように。



生きづらさ-自己表現欲求-メディアを使ったコミュニケーション-ネット恋愛。

そんな時代の象徴だった浜崎あゆみの結婚もまた、時代の象徴だったのではないでしょうか。

出会ったのが数回の相手と、メールと電話を続けて、そのまま結婚を決意したのですから。



互いの想像がどこまで共有できるものか別として、それなりの「共有感」があれば、恋愛感情を抱くことができる人たちがいるのです。

私は、浜崎あゆみの結婚を知り、彼女自身も、こうしたネット恋愛志向の人かもしれない、と思いました。



その意味で、「きっかけは対面コミュニケーション、プロセスはウェブ」という浜崎あゆみの結婚は、生きづらさを感じている彼女自身の、コミュニケーションのありようを示したものだったと思えてなりません。(終わり)
《NewsCafeコラム》
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